2002年02月17日(日) |
ふてぶてしく謝られてもそれはそれで十分に殺意が湧くのだけれど。湧くのだけれども。 |
ええとまあ生きていく上で この世にはなかなか自分の思い通りには いかないようになっているわけで こうゆうことを不条理などと 多くの少女達がココロの病気の一因にも なってるわけなのだけれども ではなぜ ではなぜなぜなあに どうして不条理なことが起きるのねえ兄さん と考みるに 悪しき日本の教育システムや 営利主義に走るその本分を忘れた悪しきメディアが 信じていれば夢は必ず叶うだとか 長生きする事は素晴らしい事だとか ありもしない嘘を公に垂れ流し 甘い言葉で常にささやいてるわけで そんな甘い言葉に騙された結果 ああ夢も叶わない私はなんてダメ人間なんだ ああ私だけが夢すら叶わないんだ なんてどんどん悪循環に病気になっていくのであり しかし 教育システム自体そういった嘘を教育しているので まだ若い人間には真実を見極めることは難しく おかげでまた 騙されてるのに気づかないまま ココロの病気になっていくのであって 夢は必ず叶う。 これは悲しいかな本当の事 つまり真理ではなく 実際は 「この世には叶わない夢もあるのだ」 これこそが 真理なのである。 最初からそういった 叶わない夢もある。と認識していれば たとえ夢が叶わなくとも これ危機管理。 まあそんなときもあるよ。 まあ夢は叶わないもんだし。命までは取られやしない。 次だねえ。ああ次だよお。 なんて人間らしい気持ちになれ また叶わない夢があるからこそ 叶ったときの喜び・嬉しさ・ハッピー というのはこれひとしお。 やったやったやったやったという充実感があるわけで そうゆう現実を受け止めれば 案外世の中なんてことなく こうした隠れた真理というものは まだまだ数多く存在するのだけれども 世の中には 驚くほどに 「謝らない人間」 がこれまた数多く存在し まあ若者なんてのは 人の言う事も聞かずに暴走するのも これある意味若者の特権 若さゆえ ってヤツですなあ まあ暴走して壁にぶつかって それこそ経験 それが身になり肥やしになり 若者は成長して行くものであるからして まあ若者が謝らないってのは それはそれで 後々の人生で勉強して行く事を思えば それはそれでありだと思うのだが ときにいい歳した人間。 まあこの「いい歳」というのは 人それぞれ感覚は様々だとは思うのだけれど 50代、60代のおっさんおばはん これはもお「いい歳」って言って 語弊はないと思うのだがね こういった年寄りというものは 実に扱いづらい おっさんおばはんらは決して自分の非を認めたがらず 筋の通った理論で追求すればするほど 聞こえないフリとまるで子供どころか わしらの頃は なんてこの21世紀に戦争の話しをして 論理のすり替え、感情論に逃げ それどころか お前みたいな年下に と年甲斐もなく逆ギレ まるでヤクザ・子供なのであり 私にしてみれば 何故素直に 「すいません」 と一言言えないのか不思議でたまらなく やはりこの おっさんおばはん世代というのは 経済成長だけを目的とした 悪しき戦後教育直撃世代なわけで つまりは 何もいらんことを考えんと 働きなさい働きなさい さすれば安定した老後を授けむ。 と甘い言葉で誘惑され 世の真理を無視し 現実を受け入れた時点で おっさんおばはんの50年というもんは アタマから否定され また長々とだらだらと生き長らえた 50年を否定されたくないプログラムが働き 決して彼らは 幼児退行してまでも 絶対に100% 「すいません」 とは言わないのであり そのため自己防衛の為に 行動・言動が自己中心的になり 嘘を嘘でカバーするために 偽善・欺瞞的になり 熟年離婚だとか セックスレス夫婦だとか 体裁だけを整えるのに やっきになっているのである。 がしかし だがしかし 時代は変わり 時は流れるもので 抗うつ剤・抗精神薬の類が 製薬業界の売上の大半を占める昨今 やはりお互いがお互いの非を認め お互いがお互いを尊重する。 これ大事なわけで つまり もちろん長所は 誰が見ても長所なわけで 誰にも迷惑かけないから長所なわけで それはそれでいいのだが やはり短所。 お互いがお互いの短所を認め合い その現実を受け入れたうえで 随時おたがい対処していくことが 人間として 肝要なのであると私は思うのだがね。
まあ受け入れたくなくとも ときに現実は冷酷に その現実を通告してくることもあるのだけれど 私は全ての不条理を 私は全ての短所を 私は全ての真理を 受け入れていく所存なのは もおすでに わたしのちんこは 受け入れたくないほど 皮をかぶり 右に曲がり 充分その時点で わたしのちんこは 「あいすみません」 なのだよ。ほしぃくずぅ〜。
|