2002年02月11日(月) |
顔は口ほどに気持ちいい。 |
スポーツというものは 己の肉体を削り ときにはストイックなまでに 極限状態に精神をを追いこむことで 潜在能力を引き出し 肉体と精神の融合 それによって人は成長し また切磋琢磨によって 科学では解明できない 実力以上のパワーを発揮する事で 人間の可能性の 奥深さ・神秘さを再認識するのであり またその可能性を諮るために 各スポーツのイベント・祭典が 明確な基準・明確な条件が 参加者に公平に割り当てられ 明確な目標に向かって その規模に関わらず行われるのだけれども 逆に言うと その明確な基準・明確な条件・明確な目標があるからこそ これスポーツ。 相手よりも多く点を取る。 相手よりも1秒でも速くゴールする。 これ実にわかりやすい。 これ実にわかりやすいからこそ 見ている側からわかりやすいのだけれども この剃ると濃くオリンピック。 まあスピードスケートなんてのは 人間の極限のスピードを競い合い その為に主に下半身・脚力強化 身体のラインの出るコスチュームで 異常に発達しまくった下半身を見て ほお。こりゃすごい。 などと感嘆。 これわかりやすい代表なのだけれども ときにモーグル・ハーフパイプ・ジャンプ などこれ一体目的がわからない そのタイム・距離とは別に 芸術点・飛形点というもが存在し たとえ己の肉体を酷使し ギリギリまで精神を追いこんで タイムを縮め距離を伸ばしたところで 美しくないヤツ・ブサイクなヤツは人間じゃない と評価されているのである。 特にこの芸術ということばは実にあいまいで その基準は人によって違うことが常識で 何を根拠に評価されているのか不明瞭 とくにカーリングなどは 一体人間のなにをきそっているのか その存在の根拠すら見えてこず 美しくないヤツ・ブサイクなヤツは人間じゃない といった外見のみの評価こそが 内面を審査しない 非常に危険な思想であると 私は思うのだがね。
ときに人間は えもいわれぬ表情を見せるわけで こうしたオリンピックなどの 非日常的世界的大舞台において 満面の笑みなど 一見すがすがしいのではあるが これもまた 外見至上主義にすぎず 愛子スマイルなどと マスコミは一般ウケしそうな 外見だけとりあげるのだが もし仮に もし万が一 表情オリンピックなどあれば まず間違いなく これは私だけの意見だけではなく まず間違いなく 女性に関しては 「フェラーチョしてるときの表情」 これ確実に金メダルなのである。
女性はこの男性社会の 外見至上主義社会のおかげで きれいでいなければいけないと洗脳され 毛を剃りファッションを競い 化粧をしてどっからでもかかってこんかい と外敵から身を守るのだけれど それゆえその内面は押し殺され 心許せるごくわずかな人にしか その本性である表情を見せず また あまりにも外見至上主義社会の為に 外見で付き合った男性には 恋人同士でありながら 心は許していないという悲劇に直面し 偽りの姿のまま 安らげない葛藤に 少女達はココロの病気になってしまうのであり この フェラーチョしてるときの女性の表情というものは 全ての想いや葛藤をちんこにぶつけ おかあさん犬の母乳を飲む子犬のように 実にピュアァ。 またそれでも冷静に ときおり見せる小悪魔のような 何か企んでる表情も垣間見せるところに オトコはやられてしまうのである。 どんなにきれいに着飾ろうと どんなにブサイクな顔であろうと どんなにブサイクな体型であろうと カーリングをやっていようとも モーグルのこぶに感じようとも スピードスケートの太ももに欲情しようとも ちんこのまえには いち女性に成り下がり ここはどおなんて ディープスロート ディープスロート 裏筋からカリ首まで 全ての女性が輝く一瞬なのである。 つまり 冬の性行為はオリンピックであり あなたは稲妻のように 私のちんこにかぶりつき ユーローリンッサンダー フェラーチョしてるときの表情が 金メダルなのであるが こうした意見は男性社会の中で一般的で じゃあじゃあじゃあじゃあ 銀メダル・銅メダルはなんなの これは人それぞれ多種多様。 私は昨晩初めて 女性の鼻フックプレイに興奮を覚え 今の私は 女性の鼻フックプレイが ベテラン勢を押しのけて 銀メダルにランクイン。 そんな貪欲な私に 金メダルをあげたい。 ああ剃ると濃くオリンピック。←ちょっとお気に入り。
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