2002年01月06日(日) |
ウンチングスタイル平等論。 |
人間。 たとえ恋人同士・夫婦・家族 であったとしても 1個体の物体で それぞれ経験・体験が違う以上 お互いがお互いを 100%解り合う ということは 哀しいことだけど 現実には不可能なのであるけれど だがしかし だがしかしだよ それは お互いの相互理解により 近づくことはできるのであり その為には お互いがお互いの コンプレックスやトラウマを カミングアウトしあって お互いがお互いの 醜いウミや傷を 晒し合うことが肝要なのである。
はっきり言ってしまえば お互いの長所 カッコイイとこ つまりその時点で そういった要素は 相手に 「良く見られたい」 「いい印象を与えたい」 などという見栄にすぎず、 その時点で偽りであり 多くの少女たちはそういった 幻影に騙されて セックスレス夫婦や 熟年離婚に至るわけで いわゆる長所。 というものは 長所であるが故に たとえ相手が君でなくても 誰が見ても 「良く見える」 から長所なわけである。
そう言った観念から考みると いわゆる短所。 カッコ悪いとこ。 ブサイクなとこ。 そういった欠点を見せることで 私は相手がどれだけ自分に 心を開いてるか。 信頼度・愛情の深さを。 推して知るのである。
例えば母が自分の赤ん坊が 鼻詰まりになったら 赤ん坊の鼻をすすってあげる行為。 赤ん坊が便秘になったら 自ら指で赤ん坊の肛門を ほじりだしてあげる行為。 これはひとえに 自分が腹を痛めて産んだ子供で あるがゆえにできる行為で たとえばそういったことが 他人にできるか否か。 それこそが 愛情であると考えられ かといって スカトロ愛好者が偉い とかそういうことではなくて まず、 相手に去られる危険を犯してまで 自ら欠点・コンプレックスなどを いかに相手にカミングアウトする 勇気がいるのかということである。
だからまず そういった弱さを見せて 相手が受け入れてくれれば それはもお、燃えるような恋愛に 発展するのだよ。 普段他人には見せない姿。 それを私は見てみたいのである。
普段絶対に人には見せない姿。 例えばそれは脱糞時の あのスタイル。 ときに趣味的に見せつける人がいるものの あの脱糞時のスタイルは どんなに偉い地位のある人でも ましてやかっこいいあの人も 虫も殺さないアイドルさえも 必ず行うスタイルであり 無防備で滑稽であり それは決して 他人には見られたくないものである。 もちろん。一部の愛好者を除いて。
ならば 私が考える理想の出会いは次の通りである。 とある便所。 心開いて安心して 脱糞する私。 不意に扉がバタンと開き 私の排泄物と菊の御紋を目の当たりにする君。 一瞬静寂が包む。 私が手を差し出し口を開く。 「こんなわたしですがよければつきあってくれませんか・・・」 君が手を握り言う。 「こんな私でよければ・・・。 私はあなたを知らないけどいい人だってわかるわ・・」 みつめあう二人。 「カギ、かけるの忘れちゃった・・・」 「いいの、そんなあなたがスキ・・・」
まず間違いなくこういう出会いをした二人は 永遠に永遠であるに違いないのである。
どんなに偉い政治家。 かっこいい俳優。 かわいいアイドル。 ためらい傷の少女。 仮性包茎のうだつのあがらない男。
どんな人間でも ウンチングスタイルは 皆 み〜んな ブサイクなのである。
あ、そろそろ「超合金」始まりますのでこのへんで。
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