2002年01月05日(土) |
ふてぶてしく開き直れ。 |
精神的コンプレックスのメカニズム というものは至極簡単で それは単に自己と他者の比較に 他ならないわけで 氾濫する情報化社会において 没個性という間違った戦後教育のおかげで 「他者と同じでなければならないのに 私ってば私ってば・・・」 という混乱が少女たちのなかで起き はたから見れば え?そんなことで?? 的なささいなことで 少女たちはリストカットに憧れ 夜な夜なODに浸りながら 自傷行為に耽ったりするのである。 あくまで簡単に言うとだよ。 もちろん他にも様々な要因が 複雑に絡むけどね。
ならば 「他者と違うことこそこれ個性。ゆえに我あり」 などと考え方を変えれば 精神的コンプレックスというものは いちもたやすく解決するのであり、 クリスマスはカップルと過ごさねばならない クリスマス独りで寂しい クリスマスはクリトリスが寂しい などというのは 全てメディアの作り上げた 偽りの世界であり その他正月、盆など 全てが国の 貧乏人に消費させて搾取してまえ作戦 に過ぎず そこに本質はないのである。
私などは ここ数年。 大晦日は決まって映画を独りで見に行き その後は 松屋で安っぽい味が絶妙に妙味なカレーの大盛りを食べ 帰宅途中の地下鉄の中で 新年を迎えることを ひそかな楽しみにしているのだが。 そんな枯れた年末年始であれど、 肝心なのは 同じ電車に私のごとき枯れた人間が やまほどいる。ということであり、 つまりは少女たちはメディアに完全にだまされており 世の中 独りの正月・独りのクリスマスなんて きっと私だけなのよ。そうなのよ。 などと思いこみ、 日付が変わる地下鉄に様々なドラマが あることに気づいていないのである。 様々な世界の存在を知れば 精神的コンプレックスの 克服と言うものは 容易なのである。
だがこれが肉体的コンプレックスであると 少々やっかいで、 同じく他者と比較によって感じるのであるが これがどうにもならない。
例えば私のちんこというものは 恐らく他人よりもやや、やや小ぶりであるのだと 思いこんでるのであるのは その比較対象する機械が 日常生活においてはそうあるわけではないので 思いこむしかないのであるが、 はっきり言って 小ぶりだけならまだいい 小ぶりだけならまだ許せる 本当に小ぶりであるのなら受け入れますよ、そら けどね だけどね。 それ以上に 私のちんこの皮の自己主張が激しいのだよ。 それはもう夕方の朝顔。 それはもおルーズソックス はたまたレッグウォーター並みにね。 これはあきません。 これだけはあきません。
そらね。 戦闘モードになれば頭はでます。 きちんとそれなりの仕事はこなしますわ。 そらね。 今までまぐわった女性は「気にしない」とは言いますわ。
でもね。 けどね。 例えばちょいとお洒落に口説かれた後、 例えば襲われたときに助けてくれたヒーローが 例えば手と手が触れた瞬間に恋が芽生えた 例えば私の知らないことをいっぱい知ってる雑学王 例えば背中が渋い上司
これがパンツ脱いだら もお「ごめんなさい」状態なんだもの。 これはきついです。 これはへこみます。 全然説得力ありませんもん。
仮に真性であればこれはもう 肉体的障害。ハンデキャップ。 あえて開き直ってネタにすることが あらダンディ。なんてことにもなりますわな。 この「仮性」という中途半端さが まるで自分の性格とあいまって 情けなくなるんですよ。 日本人男性の5割が 仮性包茎である。とはよく言うものの。 私以外に見たことないんですもの。 そらへこみまっせ。
クレオパトラの鼻が・・・・ なんてよく言いますけどね。 私が仮性でなかったら これは本当に思います。 人間死ぬときは様々なことが 走馬灯のようによみがえるといいます。
私はおそらく息絶えるその瞬間まで 仮性であることを 嘆いてるのだ。確実に。
自傷行為をする勇気のない私は ただひたすら 自慰行為に耽るのである。
でもカミングアウトしてみる。 正月から。
とも思ったがそれで あんたに迷惑かけたか。 これからは 逆に 自慢してやるのさ。 ああなにが悪いのさ。 冬はしぼんだ風船みたいでかわいいのだ。 そうだ。 仮性こそ私の武器なのさ。 ふは!ふはははははは!!
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