2002年01月04日(金) |
うん。まあ。ゆっくりでいいと思うんだな。ボカァ。 |
まぁなんてゆうか ルパンに次元に五右衛門に不二子 というものは ある意味 この俗世間の縮図みたいなもので
ルパンはルパン 次元は次元 五右衛門は五右衛門 不二子は不二子 と 誰もが疑問など持たず 誰もが気づかずに ルパンはルパンで 次元は次元のまま 日常をただ費やしているのであって こういったことを 世間では 「身分相応」 などと一言で片付けてしまうのだけれども
だけど果たして それでいいのかい? あなたはそれでいいのですかい? 結局支配されてしまうのですかい?
たとえ ルパンがルパンであるためにルパン的に ルパンであったとしても 次元が次元であることに疑問を抱き 次元的にルパンを願望に抱くことは 極めて 人間的だと私は思うのだよ。
だがね 次元が次元であるが故に 次元がルパンになることは 決して平坦な道のりではなく 次元が次元であるが故に いろいろな障害・弊害で 多くの次元がそこで はは、しょせん次元は次元なのさ。なんて 妥協したり、あきらめたり 流されたり、投げ出したり、 ココロの病気になったりしてしまうのだが、
とどのつまりそれが 「不条理」 というもので、 なんてことはない。 その「不条理」を 自分の中で認めて 受け入れてしまえば
次元がたとえ次元であっても次元として ルパンになりうることも これ次元的に可能なのであるのだが やはりこの不条理の波に 呑み込まれてしまう 次元を 俗世間では はかないと言うのですなぁ。
まぁ、誰にも知られずひっそりと はかなく散っていく次元というのも これ次元的に胸を胸を胸を張って それはそれで次元を全うする 次元であるのだけれども まあせっかく生きてるのだ
ルパンはルパン的にルパンであるが 次元が実はルパンである次元と言うのも 私は次元でありながらもルパンになりうるために たとえルパンになり得なかった次元や ルパンになることすら望まなかった次元や 歌を忘れたカナリや 次元であることに気づかない次元から お前は次元だ。とか お前は次元以下だ。 と冷ややかな視線や 後ろ指や陰口たたかれても それはそれで 気持ちいいので 私はまだ次元なのである。
正月なのに。
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