2002年01月01日(火) |
ナマハゲは歩いてこない。 |
もちろんタイトルに意味はありません。
サイト的には区切りとして1月1日があるんだけど、 個人的には全然意識してなく、 店がいっぱい閉まって不便だなぁくらいにしか考えてない。 というわけで、新年だろうとだらだらと。
昨日は渋谷でMILKとその仲間たち(爆)と一緒に飲んで その後MILKは某フェティッシュ・バーでカウントダウン、 俺はそのまま家に戻って一人でお留守番。の予定だったのだけど、 MILKは軽い癲癇症状が出たらしく 23:30過ぎくらいにタクシーで急遽帰宅してきた。 その後少しワヤワヤと。ま、そういう年明けでした。 ま、今は薬飲んで寝てるんで、もう大丈夫でしょう。
渋谷でミッドナイトプレス冬号をようやく入手。 ちなみに詩学は今年から年間購読。まだ1月号来てない(泣)。 詩手帳は立ち読みしたけど、なんかつまんなかった。 んで、谷川俊太郎と正津勉(ゲスト:鈴木志郎康)の対談。 インターネット上での詩についてちょこちょこ述べている。 内容に関しては違うんだよなぁと思うところもあったけど、 谷川さんが、「今の若い世代は詩を読んで詩を書いてるのかな」 という内容の発言をしていて激しく同意。 詩を読まずに書いてる人が多いんじゃないのか? あるいは、自分の周囲のみの詩を読んでるだけなんじゃないのか?
なんだろ? 詩会のレスなんか見ててもそうなんだけど、 詩を読む幅の狭い人が多い。特に最近顕著になってる気がする。 (もちろん広い人もいっぱいいますが。) でまぁ、狭いのは問題ではなく、 それは人それぞれの技量や、発展途上ってのもあるので 狭いのが悪いとは言わないけれど、 狭いことを認識してないのは、問題だと思う。 ちょっとね、そのへんなんとかしないとね。 システムとして、認識してもらう何かを作ることは可能なんだろうか? 詩会とか、自分の作品へのレスを見る前に、 他の人の作品への、他の人のレスを見て欲しいよな。 それを自分が書いたレスと比較して欲しいよな。 たぶんね、そういうところから始まるような気がする。気がしています。
で、それと同時に、言ってることが違うんだけど(笑)、 詩への入口が、詩ではなくなってきてるのかなとも思ってます。 たとえば俺なんかは、 近代詩や80年代の現代詩人などが詩の入口だったんだけど、 今はなんか違うもんね(笑)。 「ミスチル」やら「あゆ」やら、それは歌手だっちゅーの。 詩の入口が歌になってる。 だから好きな詩人の欄に歌手を入れて、 その違和感にまったく気づかない人とかいるんだよな。 それが悪いのかどうなのか、まだよくわからん。 個人的にはふざけんなって思ってるんだけど、 詩史的な流れとして、もしかして大勢になってるのかなと、感じてたりもする。 なのでよくわからん。 流れとしてそうなら、ネットという媒体の登場によって、 詩の活性化と同時に歴史的断絶が起こるんじゃないのかなと。 そういう危惧も、頭の片隅にあったりします。 それが詩の変化なのか、滅亡なのか。 現在が過去にならなければわかり得ないことだけれども。
まーね、もっとね、“詩”を読もうね(笑)。 読んでから書こうね(笑)。
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