2002年01月02日(水) |
桜の木の下にはドジョウが埋まっている。 |
昨日の補足。
んと、詩を読んでないと良い詩が書けないとか、 昔の詩や現代詩がすべて素晴らしい詩だとか、 そういう意味で書いたのではなく、 「詩」に対して真摯であろうとするならば、 「詩とは何か」という問いに対する先人の軌跡を確認したり、 現在の詩をとりまく環境がどのようになっているのか、 そういうことを知ろうとしてもバチは当たらないんじゃないかなと。 詩作においてそういった知識は確かに不可欠なものではないけれど、 んー、なんて言えばいいんだろう? 「詩」に対する礼儀みたいなものかな。そんな感じ。
そういうことをしようともしないで 「詩を愛している」なんていう人は 「詩」を愛しているんじゃなくて 「詩によって自分の思いを形にして発表できる」 という状況を愛しているに過ぎない と、個人的には思ったりなんて暴言を吐いてみたり。
んー。メンドくさくなったんで今日は補足で終わり(笑)。
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