昨晩構えるということに関して ここに綴った 嘘はついてるつもりはない
だが、何か引っかかったのだ
もう一度良く見て考えて見ると
気が付いた
構えることは悪いことではないのだろう 自分はそうここに書いた
だが、作るということは 決していいことでは無いのかもしれない
自分にとって損しか生まれないだろう
「構える」というのは自分の内側に踏んでほしくない一線を 引くだけのことだが
「作る」というのは自分の外側に 大きな壁を張るということだ
自分に一切近づけさせない用にするために
「作る」ということは相手に嘘をつくということだ そして、それをやり続けるということだ
まあ、自分に好感を持ってほしいからと 「自分を作る」ということをするのも 一つの方法だろう。
だけれども、それは手前勝手なやり方だ
上手い具合に自分の良いところををさらけ出すわけではなく いい人だという虚像を相手に植え付けるだけなのだから
付け焼刃のキャラなんて不自然な上に脆い。 後々歪みが生じること間違いない。
何故そういい切るかというと 自分がそれで失敗をしているからなのだけれど
相手の性格に合わせてに自分も作るだなんて 結局傷つくのは自分だ なりたい自分にもなれず相手に 迷惑をかけてしまうだけだった
だけれども、この方法を一概に悪いというつもりもない
自分が他人と良い仲になりたく無い
親愛の情も思慕の情も
友情も
邪魔なだけだ
そう思う人はやったらいい。 それで後から、後悔しないのならば そういう人たちにとっては これはいい方法なのだから
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