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オオカミ

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2004年02月27日(金)
同性愛者の存在理由

この間
同性愛者の存在理由なんてあるのかなんて
そんな会話をしていた。

ある人が言った
「ゲイってさあ、子供も作れへんやん?
結婚も出きひんやん?

社会的にも認められてないしさ。何の意味があるんやろうね。」

また、ある人がその人にこんな質問をした

「社会的に認められた時、そしたらどうあってほしいんよ?」

そうしたら、彼はこう答えた
「放っておいて欲しい。俺らは俺らで」
「普通の人達が受け入れてくれるはずが無い」
そんな一連の会話。


彼の話をきいて自分はこう解釈した
放って欲しいなんて、本当は思ってないのだろう。
傷つくくらいなら放っていて欲しい。
でも、できるなら、受け入れて欲しいと
本当はおもっているのではないかと



自分はそう思うし、そう願う。
出来ないことではないかもしれないじゃないか。
社会的に認められなくても
少なくとも普通の人に受け入れてもらうことは
できるはずじゃないか。


でも、彼はその願いをかなえるのは
無理だと考えているから
こんないい方をしたのだろう。


だけど、それに対して、こうも思うのだ
自分が自分の願いを否定してしまったら
何も出来ないしそこから動けない。

もちろん、願うことでかなうと言い切るわけじゃあない。



もしかしたら、突き放されるかもしれない。


もしかしたら、大きく傷つけられるようなこともあるかもしれない。


もしかしたら、可能性は少ないかもしれない。





でも、願うのをやめたら、動くのを止めたら

可能性は確実に0だ。


だから、自分は常に、動こうと思うし
願うのは止めないだろう。




そもそも同性愛者の存在理由なんてあるのだろうか。


自分はそんなものは、はっきりと無いと思う。

なぜかというと、人種によって存在理由が
変わるわけなんて無いからだ。

全ての生き物にはそこに存在していることに意味があって
その意味を、探すために生きている。

それでいいのではないだろうか


たとえ、結婚が出来なくても、
それが生きている意味ではないはずだ


結婚するという「形式」自体に意味は無いのだから。

子供が欲しければ養子に迎えればいい。

男同士だって、養子縁組という形で
一緒に暮らすことははできるのだから。
結婚だって、子供を作るのだって
方法はあるのだ。


「形式」に意味はないのだ。
それに、意味をもたせるのは
その人その人では無いだろうか。


そして、その形式の中に
「同性愛者」という物もあるわけだ

それに対する、価値観なんて
人それぞれ、つけていけばいい。
そういう風に思う。


だから、探すとしたら
「今ここにいる自分の存在理由ってなんだろうね」

これでいいのではないだろうか。


それを探すのが生きることなんだろうから。


そうはいっても、どう探したらいいかわからない人もいるだろう

存在理由が解らなくて、しんでしまおうしてしまおうと思ってしまった人も
いるだろう

無気力になって、自分が希薄に感じられる人もいるかもしれない。




そういう場合は






一度、やりたいことを探してみよう。
やりたいことが生きる力になって
意味になる。

そう考えて動いてみたらいいじゃないか。


意味が無いなんて、考えたら寂しすぎる

そうならば、意味を探していけばいい。


自分だけができることが絶対ある。
その人だけができることが絶対ある。

たった一人の自分なんだから
大切に。自分を一等好きになって
生きていけばいいんだ。



今日の一口<自分があきらめることで足を止めないで>



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