家に昔からある グラスに、今日お茶を入れてみた
その時、ふとこう思ったのだ
このグラスも、 小さい時は倍くらいの大きさに 見えたものだけどなあと
この間久しぶりに母校の小学校を見た 小さかった
あれだけ大きく見えた校舎が とてもちっぽけに見えた
自分の体が大きくなって 周りが小さく見えるって言うのは
不思議な感じで
昔見た景色を思い浮かべると 少し懐かしい気持ちにもなる
そんな事を頭の中で考えていると あることに気が付いた
子供の視点は いろいろなものを綺麗に偉大に 見せてくれてたような気がする
例えば、そのグラス 今はグラスを見て 綺麗だなあと思うことは 俺はそんなに無い だが、昔はグラス一つ見るだけで それの鈍光や形が 綺麗だと眺めて気がする
他には昆虫達 昆虫採集と飼育が 俺はすごく好きだったのだが 蝶の羽化の瞬間や こおろぎの 音色などがひどく美しく 素晴らしく思えた気がする
そして、海や山などの 壮大な大自然 それに対して自分は とてつもなく偉大に 感じていた気がする
俺はあの頃の感性を 何処においてきたのだろうか 決して今も 綺麗だ、偉大だとおもわないわけでもないが 昔と比べ、希薄になってるような気がする
子供の純粋さと一緒に どこかに大切なものを 俺は置き忘れてないだろうか
そんな風に思う
かといって、昔の視点に 戻れるかと言ったら 無理なのだ
昔に比べると汚れてしまったし 経験や知識も増えた
だが、昔何もかにもが 綺麗に見えたあの頃
あの頃の視点を どこかで持つことは できるのではないかと 思うのだ
あれは未知なものに対する 探究心や好奇心から来ていたものではないか? あれは憧れや親愛の情からくる 尊敬する心からきていたものではなかったか?
そうならば、常に新しいものを 追い求めればいいのではないかと 思うわけだ
そのためには
同じ道を歩かずに 少し角を曲がって 別の通りに 入ってみることだ
もちろん同じ道を歩いて 新しい発見を探してみるのもいいが
それは、結局保守的であるとも いえるように思うのだ
だからもっと目を外に向けて いつもと違う道を歩いてみよう
そうしたら、あの 子供の視点が蘇ってくるはずだ
今日の一口<人が追い求める心を忘れた時、その人は死んでしまうのだろう>
|