正直なことを言えば、前回のコラムを書いた時点では、まだ希望の方が大きかった。これまでプロ野球のみならずスポーツ界全体に多大な恩恵をもたらしてきた、他ならぬ長嶋茂雄監督の要望である。意地の悪い言い方をすれば、これまで様々な恩恵を授かるために、散々長嶋監督自身やそのネームバリューにたかってきたプロ野球界が、まさか長嶋監督たっての願いを斬り捨てるとは思わなかったからだ。 しかし、その見立ては甘かったようだ。21日にコミッショナー事務局で行われた五輪日本代表編成委員会で、代表チームの選定については各球団2人枠というオーナー会議の決定事項に従うことが確認された。長嶋監督が熱心に要望した各球団2人枠の撤廃は、これで完全に消滅したということになりそうだ。 長嶋監督も巨人の監督を長年務めてきた以上、積極的な派遣に対して現場からノーという声が上がることは予想していたことだと思う。しかし、最強チーム編成の為には2人枠が充分なチームを組む要件ではないことも、痛いほどに認識しているに違いない。それは、昨年11月に行われたアジア予選での戦い振りに十二分の手応えを掴んだことで、逆説的に実感したことでもあるだろう。 前回も書いたように、この問題に対して完璧な正解はないと思う。それぞれの立場によって、最も優先すべきことが完全に分化しているからだ。現場には現場で優先することがあり、五輪代表には五輪代表で譲れない部分がある。これ以上の泥沼化を避ける為に長嶋監督の方から降りた形になったが、それは恐らく、これ以上要望を通そうとしても事態が進展することはないという諦めの気持ちが、最強チーム編成と言う熱意の先に立ったからかもしれない。 苦汁の決断だったことは間違いない。この決定により、アジア予選で編成したチームからの戦力ダウンは避けられない状況となったと言っていいだろう。1年前に各球団2名ずつでチームを考えたこともあったが(こちら参照)、ポジションの問題もあり、言い方は悪いがどうしても数合わせのような選手が入ってしまう。チームとしてのバランスが非常に悪くなるのだ。 プロ野球の現場からも、積極的な派遣に対して賛成意見がなかった訳ではない。横浜・山下大輔監督や近鉄・梨田昌孝監督は、2人枠の撤廃に対して肯定的だったと伝えられている。彼らには、五輪の舞台に選手が立つことで、日本野球の発展という観点ではなく、そこでしかできない経験を糧に派遣した選手が大きく伸びてくれるという期待があったのかもしれない。平たく言えば、多少の期間戦力がダウンしたところで、それは無償のボランティアではなく投資のようなものだ、と考えることは可能であるということだ。 中日・落合博満監督らは、しきりに不平等性を2人枠撤廃の反対理由に挙げていた。1人も選手を派遣しない球団と主力が3人も取られる球団が戦うのは不公平だ、という理屈である。確かにこれは一理あるのだが、よくよく考えてみれば、そもそも各球団が最初から抱えている戦力自体が不平等で当たり前なのではないだろうか。 全く同じだけの戦力を持ったチームが存在するということは有り得ない。ただ、かねてから球界では、FA制度やドラフトの関係で特定球団に戦力が偏ることが問題視されてきた。「戦力の均衡化による群雄割拠のプロ野球」を標榜する声が、プロ野球界に存在することも事実である。均衡化というキーワードに則って考えるならば、強いチームからはいい選手を3人派遣し、弱いチームからは派遣しないというのは、戦力の均衡化と言えなくもない。この辺りの論理の整合性は、落合理論に乗るならば噛み合わなくなる。 一方では戦力の均衡化を叫ぶ声があり、もう一方では五輪への選手派遣に対しては自分のチームだけが弱体化するのは嫌だと言う。私が今回の問題で居心地の悪さを感じるのは、そのとき・その立場によってその場にある理屈をコロコロと使い分ける、球界全体に漂うご都合主義に他ならない。無礼を承知で言うならば、何か卑怯な感じを受けるのだ。 恐らく今年、日本の野球ファンの関心の中で五輪代表は、かなり大きなベクトルを占めるだろう。肝心なのは、野球五輪代表に向いている関心のベクトルは、野球ファンだけに限ったものではないということである。今年からオリックスの監督に誰がなったのかを知らなくても、長嶋監督率いる日本代表が五輪に出るということを知っている、そんな一般人はきっと少なくない。 五輪に肯定的でない球界関係者は、恐らく五輪のことを目の上のたんこぶだと思っている筈である。なぜそういう風に考えてしまうのだろう。いっそのこと、五輪を積極的に利用してやろうというぐらいの、いい意味での図々しさがほしい。五輪に対して貢献するという事実は、その球団のファンにとっても誇りになり得る筈であり、その選手を球団がアピールしていけば、それは営業面でも一定の効果を上げておかしくない。 「五輪に選手を取られる」と考えるのではなく、五輪への選手派遣をプロ野球全体でキャンペーンするのも悪くない選択肢の筈である。派遣される選手は、確かに球団にとっては所有物という感覚のものかもしれない。しかし、我々ファンは、特に五輪での金メダル獲得を心から期待しているファンにとっては、そんな感覚は微塵もない。選手は球団の所有物ではなく、球界全体の宝物だからだ。 私は中日ファンではないから、福留孝介も岩瀬仁紀も中日の選手だとは思っているが、中日球団の所有物だとは思っていない。日本球界を代表する素晴らしい選手、そう思っているだけである。これは各球団のファンに聞いてみたいのだが、恐らく各球団のファンも、選手を球団の所有物だとは考えていないと思う。高橋由伸は巨人の所有物ではないし、和田毅はダイエーの駒ではない。 目線の置き方そのものが、どうも五輪とプロ野球を無理やり敵対関係に置いているような、平たく言えば二律背反で共存できないものに仕立て上げている気がする。本当にそうなのだろうか。本当に五輪とプロ野球は共存できないものだろうか。野球は他のスポーツとは共に歩めないスポーツなのだろうか。 サッカーワールドカップ開催時、プロ野球はワールドカップとは共存できない、いや、共存しないという結論を選んだ。それは全くもって閉鎖的な考え方であり、何の進歩も望めない寂しい結論だった。 30日に次回のオーナー会議がある。恐らくもう結論は動かないのだろうが、このままでは、本当にプロ野球は裸の王様になってしまう。従業員1名の会社で社長を名乗っているのと同じ状況になってしまう。 長嶋監督は巨人監督時代、FAやドラフトで大物選手を片っ端から獲得し、多くの非難に晒されてきた。私も戦力の一極化には難色を示し、ここで幾度となく批判してきたクチではあるが、いまこのとき長嶋監督がこう言うならば、話は別である。いや、いまだからこそこう言うべきだと思っている。 『私はかねてからプロの最強チームを組んで五輪代表の監督をやりたかった。私が巨人監督時代に大物選手を集めたのは、来たるこのときに対して巨人からいい選手をたくさん派遣する為だった。巨人はそれだけの巨大戦力を持っているのだから、シーズン中の1ヶ月、何人か主力選手が欠けても他球団に比べれば問題はない筈です。球界やファンの為に、金メダル獲得に全力を注ぎたい。その為にも巨人は積極的に五輪に選手を派遣してほしい』 プロ野球は、本当に他のスポーツとは共存できないのだろうか。真に問われているものは、それである。
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