DEAD OR BASEBALL!

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Vol.138 あのカーブを、もう一球
2003年06月04日(水)

 松坂大輔は、現役では極めて高い次元で総合力を持った投手だと思う。爆発的なストレートの球威にどんな球種でも投げられそうな器用さ。おまけに投げる変化球全てが一級品の切れ味を持っている。これだけストレートが速くて、且つ球種を多く持ち、その全てが凄まじい質を持っている投手は、もしかしたら過去に遡ってもいないかもしれない。

 松坂は、その存在自体がもはや一芸であると言ってもいいのかもしれない。一芸という言葉が失礼ならば、唯一究極に最も近い選手と言い換えてもいいだろう。

 松坂の真に恐るべきは、その飽くなき探求心だと思う。シーズン前のキャンプ、松坂はここ数年必ず新しい球種の習得に取り組み、実際にその球種をシーズンに入って有効に使っている。この貪欲さと吸収力こそ、松坂最大のスキルかもしれない。

 プロ入り1年目に習得したサークルチェンジは、今では左殺しの必殺球として定着した。3年前のフォークボールは意識的に封印したようだが、一昨年から使い始めたカットボールはもともとの球威を考えても脅威的な猛威を振っている。

 今年の松坂はカーブを意識的に投げ込んだという。高校時代からカーブは投げていたが、今年は高速に鋭く曲がり落ちる縦のカーブ……昔で言うドロップを頻繁に使っている。

 元来からの宝刀だった縦スライダーと見分けがつきにくいが、スライダーよりは意識的にバックスピンを強くかけている分、「曲がる」というよりは文字通り「落ちる」という印象。最近で言うなら、前々回の日米野球にレッドソックスのクローザーとして来日したトム・ゴードンのドロップが近い。

 松坂はプロ入り後、カーブをあまり放らなくなった。松坂のカーブと言えば、あの98年夏の甲子園、伝説にもなったPL学園との延長17回の死闘を思い出す。あの試合で松坂はカーブを狙い打たれていた。

 延長11回裏、6-5と横浜が勝ち越した直後。一死ながら二塁にランナーを背負った松坂は、PL4番の古畑和彦を高めのストレートで空振り三振に切って取る。あと1人。ここまでの松坂の投球数は171を数えたが、ストレートの威力は衰えを見せない。

 最も警戒すべき主砲の古畑を完璧な三振に打ち取り、捕手の小山良男は「勝ちを意識して、気持ちが緩んでしまった」と振り返る。打席には5番の大西宏明(現近鉄)。カーブを打たれ2本の安打を許している。

 サインを出した小山の頭にも打たれている松坂の頭にも、当然そのことは頭にあった筈。松坂の球威を考えても、ストレート主体で投球を組み立てるのが自然な考え方ではあったが、ここで小山はカーブのサインを出す。裏をかいたのではなく、小山曰く「頭の中で薄れてしまった」故の漫然としたサイン。

 松坂は小山を信頼してカーブを放った。その瞬間、小山の頭の中に大西にカーブを打たれている記憶が蘇る。バッテリー間で打ち取りにいく意識の徹底されていなかったカーブは、魅入られたように真ん中の甘いコースへ。大西が引っ張った打球は三遊間を抜け、二塁走者の平石洋介が生還。

 打球が外野に転がっていった瞬間、松坂は何事か叫んでいたように見えた。「なんでカーブなんだ!」という思いが込み上げていたのかもしれない。小山が慌ててマウンドに向かった様子を見ても、取り乱しかけていたのは明らかだった。

 後悔のカーブ……もしこの試合を横浜が落としていたら、あの一球は松坂の中にずっと引っ掛かって傷として残ったかもしれない。

 松坂がプロ入り後にカーブを多投しなくなり、3種類のスライダーを投げ分けるようになったのは、あのカーブが何かしら自分の投球の中で残っていたのかもしれない。ちなみに、あの時に投げていたカーブはドロップというよりも縦割れの大きなカーブ。切れ味自体はあの時点で他の高校生を圧倒する質を持っていた。

 今投げているドロップは、そのカーブを松坂なりに進化させた産物かもしれない。今では過去の産物になったドロップという球種を器用に習得し、それを既に決め球にも使う松坂という投手は、やはり怪物というに相応しい。

 ただ、と思う。

 百花繚乱の松坂世代。この年のPL学園ナイン3年生の中でプロに進んだのは、あのカーブを打った大西だけだ。松坂は、プロ入り5年目で恐るべき進化を重ねていった。あの時に大西と対戦した松坂とは、次元の違う力を蓄えてきた。そんな松坂を見てきた同世代は、松坂とは違う道程を辿りながら新人離れした活躍を見せつつある。

 大西は、まだその輪の中に入れていない。近畿大時代に定評のあった外野守備は充分に一軍戦力ではある。だが、やや粗さの見えた打撃でレベルアップを遂げない限り、いてまえ打線外野陣の一角を崩すことは難しい。

 松坂は負けん気の強い投手である。恐らく今まで自分の打たれたシーンというものは、逐一覚えている。そういうタイプの投手だと思う。ならば――打たれた後にあれだけ感情を剥き出しにした相手を、覚えていない筈がないと思う。その一球を、覚えていない筈がないと思う。

 大西が一軍の打席に立った時そのマウンドに松坂がいたら、ということを想像する。初球には何を放るだろう。ノスタルジーは、時に身勝手な空想を膨らませる。

 あのカーブをもう一球放る。大西がそれを打ちにいく。結果は――。

 伝説が名勝負を生み出す。過去のノスタルジーを飛び越えて、新たな名勝負が紡がれる。伊良部秀輝と清原和博の名勝負数え歌。13年前の西武球場で、伊良部のストレートを完璧に粉砕した清原の満塁弾。千葉マリンスタジアムで計測された伊良部の日本最速158kmは、清原相手に投じられた伝説の一球になった。

 真剣での斬り合いすら思い起こさせる果し合い。再び目の当たりにした生きた伝説に、今の世代が記憶と共に重なっていく。

 打ち取りにいく意図のはっきりした一球。それを打ち崩す意図のはっきりした打撃。散る火花。そんなシーンが、あってもいい。



(参考文献:ドキュメント横浜×PL学園 アサヒグラフ特別取材班 朝日新聞社)



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