今月10日、プロ野球界の実質的最高権力者だった巨人の渡邊恒雄オーナーが、今期限りでオーナー職から退くことを発表した。後任に指名されたのは球団社長の堀川吉則氏。渡邊氏は「堀川が後任のオーナーなんだから、あとは堀川に聞いてくれ。俺は安全保障とか日本の経済のこととかを考えないといけないんだ」とコメントしている。 これまでの渡邊氏の暴言・妄言・暴走の数々は改めて取り上げたくもないのだが、渡邊氏が野球界の表舞台から一応姿を消すとなれば、「ナベツネ体制」の何が問題だったのか、それを検証する上でも改めて考えてみる価値はある。 渡邊氏のオーナー退任は、私にしてみれば朗報であると思う。なぜ朗報なのか。もしかしたらプロ野球界が健全な状態に近付く大きな一歩になるかもしれないからだ。 野球協約第2章に定められているように、プロ野球界の最高権力者はコミッショナーである。コミッショナーには、プロ野球界の決定事項について最終的な権限が委ねられている。全ての裁定の最終的な決定権はコミッショナーに預けられているのだ。 しかし渡邊氏は、巨人という人気球団のオーナーであることを通り越して、これまで巨大な影響力を臆面もなく行使してきた。「ナベツネ時代」のプロ野球は、9割方の重要案件が一球団のオーナーの意向によって左右されてきた。一言で言えば、プロ野球は渡邊オーナーによってほぼ私物化されていたと言っていい。 逆指名ドラフトを強行導入する為に、「新リーグ結成も辞さない」というブラフを堂々とかけたこと。五輪へのプロ選手の派遣を自球団の既得権益の為に拒み、日本野球の世界的地位を貶めることに堂々と加担したこと。選手会が熱望するインターリーグ導入に真っ向から反対し、ストライキも辞さずとした古田敦也選手会長に「ストライキなんかしたらファンに殺されるぞ」と脅迫したことetc……渡邊氏の暴走は、それこそ枚挙に暇がない。 渡邊氏が野球界に与えてきたマイナスの影響をまとめると、野球の国際化やプロ・アマのボーダーレス化を自己の利益の為に阻害し、野球マーケットを拡大してこようとしてこなかったということに尽きる。大新聞社の社長ともあろう御仁が、自メディアの影響力を野球の為に用いず、自分の所有している球団の利益の為だけに豪腕を振った。 経済原則に則れば、自分の利益の為に自分の球団とメディアを駆使するのは当然のことかもしれない。ただ、プロ野球はエンターテイメントである。12の球団とファンの満足が噛み合って、初めて100%の満足に近い成長が促される世界である。プロ・アマ全体を含めた球界のマーケットを拡大し、「野球を面白くすること」こそが真の利益を巨人にもたらすことに気付こうとしなかったのが、渡邊氏の重大な失策だった。 そんなオーナーが表舞台から姿を消すとなれば、マイナス要因がなくなったということで朗報だと言うことはできる。だが、渡邊氏は同時にこんなコメントも発している。 「未解決の問題があるだろう。ダイエー(の身売り)が、どうなるか。近鉄はサラ金に選手の体を売った。オリックスはどうなるか。体を張って球界の改革だけはやる。1年でやらなきゃいけないだろう」 これは1年でどうこうできる問題ではないし、ましてや球界の改革という聞こえのいいものでもない。立派な内政干渉であって、一球団のオーナーが介入してどうこうする問題ではない。以前、ヤクルトが古田を五輪に派遣するかどうかで協議していた時に「今から古田を派遣することはペナントレースを放棄するようなものだ」と口を出したことと、全く同じことを渡邊氏は言っている。もうオーナー職を辞任すると言った矢先に、である。 彼はオーナー職を辞める気はあっても、野球界への自身の影響力は行使し続けるつもりなのだろうか。球団運営から離れてもなお「院政」を続けようというのだろうか。そうであるなら、オーナーとしての姿すら見えなくなることはかえってマイナス要因になる可能性が高い。 さらに言うなら、渡邊氏は近鉄やオリックスに対して個人的な感情があるようだ。オリックスの宮内義彦氏とは理念上の違いでの対立が長いことスポーツ紙を賑わせ、近鉄が消費者金融の広告をヘルメットに付けることになったことに対しては明らかに個人的な感情でケチを付けた。 子供のケンカをスポーツビジネスに持ちこまれたら、結局損をするのはファンや選手である。正直言って付き合っていられない。 問題を突き詰めていくと、一球団のオーナーがこれほどまでに暴走し、それを許すどころか「寄らば巨人の影」という体質を形成してしまった理由は、真の最高権力者であるべきコミッショナーのだらしなさに行き着く。 2001年11月15日、横浜ベイスターズの筆頭株主であるマルハ(大洋漁業)がニッポン放送への株式譲渡を発表した。もともと30.4%の株式を保有していたニッポン放送は、マルハ所有株53.8%を譲渡されることで筆頭株主となり、経営権を保持することになる。発表前に行われたコミッショナー主催のプロ野球実行委員会でもこのことは承認された。 これに噛み付いたのが渡邊氏だった。ニッポン放送は、ヤクルト球団の株20%を持っているフジテレビの株も所有している。同一グループが複数球団の株式を保有することで、八百長や不明瞭なトレードなど球界が不正に操作される疑惑があるということが野球協約183条に抵触する、と異議を唱えた。 コミッショナーはこの問題の調査を指示し、29日の臨時実行委員会で一度は認めたマルハからニッポン放送への株式譲渡を白紙撤回するように命じた。最終的にマルハは東京放送(TBS)に株式を譲渡することになる。 確かに渡邊氏の主張は的を射ていた。だが、問題はそんなことではない。なぜ一度はコミッショナーがGOサインを出したことが一オーナーの意向によって簡単に覆ってしまったのか、ということだ。 ニッポン放送が横浜球団の株式を手にすること自体に関しては、協約上重大な問題に間違いない。ただ、その決定はプロ野球最高の意思決定機関である実行委員会が了承したものでもあり、最高権力者のコミッショナーが認めたものだ。それが渡邊氏の「鶴の一声」で朝令暮改の如き転換を迫られるというのは、プロ野球の権力構造が完全にイビツな形になっているということだ。はっきり言えば、「ナベツネ帝国」によってプロ野球界は牛耳られていたということである。 実行委員会がなぜこんなにも簡単に決定を覆してしまったのか、そのことについての明確な説明はついになかった。歯に衣着せずに言えば、コミッショナーは渡邊氏の傀儡に過ぎなかったということだろう。こういうことが簡単にまかり通るなら、コミッショナーの存在意義は小指の先ほどもない。実行委員会の存在意義もない。 「ナベツネ帝国」時代の問題の根幹は、恐らくここにある。渡邊氏が専制体制を築いたことで、最終決定権を持つコミッショナーの存在意義に根本的なクエスチョンがつけられたことが最大の問題なのだ。 となれば、渡邊氏が「院政」を敷かなかったとしても不安は残る。渡邊氏退任について好意的な反応は色々なところで見受けられるが、「ナベツネ帝国」後のプロ野球でイニシアチブを取るのは誰なのか、という問題は結構危うい。 渡邊氏がいなくなってプロ野球は良くなるだろう、巨人の感覚もまともになっていくだろう、そういうことは方々で言われているようだ。だが、実際にはどう良くなるのか、具体的な青写真はなかなか描けない。指針どころか、指針を示すべきコミッショナーの顔が全く見えてこないからである。 いっそのこと、オーナー会議の権限を大幅にコミッショナーに移した方がいいのかもしれないが、今のように天下り官僚が腰掛けでコミッショナーを歴任しているようでは、恐らくそんな荒療治もほとんど効果はない。彼らは肩書きこそ立派であるが、スポーツビジネスについてはズブの素人も同然。これならば渡邊氏に首根っこを抑えられても仕方ない。 コミッショナーが権限を当たり前に持てるぐらいにならないと、渡邊氏が球界から去ったところで問題は何も解決しない。渡邊氏がいなくなっただけで球界がよくなると思われれば、それこそ球界の首を締めることになる。ここで構造改革の手を緩めることなく、本腰を入れて球界の体質を改めることが求められる。最高権力者が具体的な羅針盤すら持ち得ないようなプロスポーツに、真の前進はあり得ない。
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