DEAD OR BASEBALL!

oz【MAIL

Vol.133 危機の正体はどこにあるか
2003年04月04日(金)

 プロ野球の開幕日にサッカーの日本代表戦がブッキングしたことは、NPBにとっては頭の痛い問題だったかもしれない。イラク情勢の影響でサッカー日本代表のアメリカ遠征が中止され、その穴埋めという形で、急遽3月28日に国立競技場でウルグアイ代表との親善試合が行われた。

 当日のテレビ視聴率は、テレビ朝日系で放送されたサッカーが13.6%、日本テレビ系で放送された巨人×中日の開幕戦が18時台16.1%、19時以降が16.2%。

 数字だけ見れば野球の辛勝というところだが、昨年同局で放送された巨人×阪神の視聴率が18時台28.2%、19時以降26.4%だったことを考えれば、少なくともお茶の間からの野球離れは現実的なレベルとして数字に表れた格好だ。

 ほぼ席が埋まっていた国立競技場に対して、パ・リーグの開催球場や国立競技場の隣の神宮球場では空席の数が目立ち、形としては煽りを受けているように感じる。

 親善試合とは言え、代表戦をウィークデイの金曜日に持ってきたのは、サッカー協会の狙いなのかそれとも偶然なのか。流石にそれはわからないが、MLB日本進出という以外にも、サッカーという黒船がNPBにとって大きな影響を与えているという事実は浮き彫りになった。

 しかし、これはある意味で当然のことと言えるのではないだろうか。

 別に、サッカーの方が野球よりも面白いから、素晴らしいからという単純な二元論ではない。ただ、試合単位の“重さ”を考えたら、中田、小野、高原、稲本、中村というヨーロッパ組が一同に会するサッカーの方が、少なくとも140試合も行われるプロ野球よりは1試合あたりの“単価”は高いというように思われても不思議ではない。

 平たく言えば、明日からずっと野球はやっているんだから、今日はサッカーを見ようということである。開幕シリーズだって3試合もある。別に開幕戦ぐらい見なくても……ということだろう。

 開幕から早くも、この視聴率を肴にプロ野球の人気凋落という言葉がマスコミから飛び交っている。確かにそれはあながち間違いとも言い切れないが、事実の一断面に過ぎない。ましてやそれが全てでは決してない。

 こういう話題が出る時、「プロ野球」という括りで表現されるのは、大抵の場合で巨人戦という枠内だけの話だ。巨人戦の視聴率がますます落ちた。松井秀喜というスーパースターがいなくなってオープン戦のチケットが完売しなかった。だからプロ野球は人気が落ちた、もうダメだという、極めて狭い範囲で話題が飛躍している。

 よくよく考えてほしい。開幕戦は巨人戦1試合だけではない。同日同時刻に他の5試合が同時に行われている。それらの観戦者はどういう扱いになるのだろうか。巨人戦以外はテレビ中継がなかった時代と違い、今はケーブルテレビやCS放送で様々な試合が見られるようになった。巨人戦以外の試合をテレビ観戦していた人は、どういう扱いになるのだろう。

 巨人戦の視聴率が落ちたということは、ファンが選択肢を持てるようになったということである。それはスポーツを楽しむ上で「正常な環境」であると思う。正常になりつつある今、その正常が「異常だ」「危機だ」と煽られる現状の方が、よっぽどこの国のスポーツ環境にとっては危機である。

 そういう論調が出るということは、「プロ野球は巨人が中心で巨人が人気を一人占めするもの、巨人大鵬卵焼きだ」と思っている人間が、いまだにはびこっているからだろう。

 かと言って、巨人が衰退すればプロ野球が活気付くかと言うと、この国のこれまでの野球環境を考えればそれも疑問符がつく。巨人が今あまりにも急激に衰退して求心力を失えば、立て直す以前に土台から根腐れを起こしかねない。松井1人がいなくなっただけでもこれだけの影響が出ている。

 1つだけ言えることは、今回の視聴率の衰退がプロ野球人気の衰退を示しているとは断言しかねるものの、巨人という特殊な球団から求心力と神通力が弱まっているということは間違いないということである。数々の弊害を生み出してきた特殊性――機構に所属している1つの球団であるにも関わらず、巨人だけが常に「常勝」「優勝」を義務付けられているという不公平感――が弱くなりつつあるのは、歓迎すべきことと言えることかもしれない。

 ただ、巨人を批判するにしても巨人を応援するにしても、いい加減に巨人を常に基準にして考える風潮は改めるべきであると、私は思う。

 パ・リーグの中にはセ・リーグでは決してお目にかかれないような独創的なファンサービスを行っている球団もあるし、自助努力に懸命な球団だってあるに違いない。ヤフーBBスタジアムに設置されたフィールドシート(一、三塁ベース後方部分のスタンドをグラウンド側に大きく突き出させた場所に作られた席)は、目線がグラウンドレベルに限りなく近い為、新たな野球観戦の面白さを引き出してくれるかもしれない。

 福岡ドームは毎試合スタンドを博多っ子が埋め尽くす。ここに至るまでの企業努力を、どれだけのマスコミが伝えてきたか。

 千葉ロッテの熱狂的応援団が、毎日スポーツ人賞文化賞に選ばれた。試合終了後に観客席のゴミを片付け、好プレーを演じた他球団の選手にも拍手を送り、鳴り物一本槍だったプロ野球の応援スタイルに声援主体のスタイルを持ち込んで一石を投じたなどの理由で選ばれたことを、どれだけの報道が伝えてきたか。

 はっきり言えば、野球民度の問題である。この国に根付いているのは、果たして本当に野球そのものなのか。それとも、巨人ファン×アンチ巨人ファンという、特定球団を軸にした不毛な二項対立図式に過ぎなかったのか。

 「アンチ巨人ファンは実は巨人のことしか見ていないから巨人ファン」「アンチ巨人こそ野球の健全化を願っている」などという議論は、率直に言って甚だ不毛である。何も生み出さない。だから、視聴率云々で危機だ衰退だと嘆くのも、また不毛であるのだ。

 器に問題があるのは百も承知だし、そのことは散々ここで触れてきた。だが、器にばかり文句を言っていても、その中で懸命に力を発揮している選手に目を向けないのは失礼に過ぎる。

 今と昔では試合の色合いが違う。確かに物足りなくなった部分はある。だが、それでも試合を見れば面白いし、魅力的な選手は日本各地にゴロゴロしている。松井がいない、イチローがいない、佐々木がいない。いなくなった選手を嘆くなら、新たに魅力的な選手を探した方がいい。

 自ら楽しもうとする姿勢は、スポーツを見る上で大事だと思う。今の野球が「つまらない」と思うのなら、見なければいい。ただ、最低限「何がどう面白いのか」を自分なりに考え、肯定し、それに沿って楽しもうとする姿勢は、ファンにとっても選手にとってもプラスである。これは間違いない。

 最近思うのは、「危機」という言葉が一人歩きしているということだ。今の状況は、危機と言うより正常に近くなりつつあるように思う。問題なのは、これまで異常な世界であぐらをかいてきた野球界が、その正常になりつつある状況を受け止めて適応できるかということだ。

 私は、背広組の話ばかりしていても、それはそれで仕方ないと考えるようになってきた。確かに野球界の背広組には山ほど文句がある。だが、そんな不毛な文句を言ってムカムカする暇があるのなら、1試合でも多くの試合を見る為に球場に足を運ぶ方がよっぽどいいと思う。

 試合を見れば、選手を見れば、野球っていいなぁと思える。野球って面白いなぁと腹の底から思える。野球を見ていれば、野球の面白さはよくわかる。これはどのスポーツにも共通していることだろう。

 暴言かもわからないが、ここで断言しておく。試合を見なければ、球場に行かなければ、今を否定する資格はない。

 試合を見よう。危機だと言うならば、球場に行って、野球を見よう。

 「野球の危機」という無責任なフレーズを目にする度に、「木を見て森を見ず」という言葉が頭に浮かぶのだ。



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