桧山進次郎の左手は、恐らく彼なりの迷いと反骨心の現われなのだと思う。 今期34歳。世間ではベテランと呼ばれる年齢に差しかかってきたが、安定感と勝負強さを漂わせる打撃は老け込みどころか円熟味を感じさせ、その風貌からはベテランという風情は感じさせない。今期も選手会長という重責を担い、チームメイトからの信頼感も厚い選手と聞く。 そんな桧山にとって、今置かれている状況というのは甚だ微妙なものであるように思えてならない。 今期、阪神の外野レギュラー争いは熾烈の一言だ。若き4番の期待がかかる濱中おさむ、2年連続盗塁王の赤星憲広、そして桧山。今年はここに広島からFAで獲得した金本知憲が加わり、トレードで獲得した中村豊が好調をアピール。俊足と鋭い打撃が持ち味の平下晃司も、潜在能力では決して劣っていない。 チームリーダーとしての意地が桧山にはあった筈だ。伊達にプロ入り以来11年間もこの球団でメシを食っていないという意地。2年連続で打率.290以上を打ってきた打力は、以前のような「三振かホームランか」という脆さが完全に払拭され、本人も完全に手応えを掴んでいるだろう。 結果から言えば、桧山は外野レギュラー争いから外された。敢えて敗れたとは言わない。どう考えても外されたようにしか見えないのだ。キャンプからオープン戦、桧山は一貫して一塁のポジションに立ち続けている。 使いたい外野手が揃っているのはわかる。FA移籍の金本を外す訳にはいかない。2年連続ゴールデングラブの赤星はセンターから動かしたくない。濱中は若さと天賦の才を見せる打力はあるものの、守備力を考えれば左翼か右翼からは外しにくい。この3人を併用しつつ桧山の打力とキャプテンシーを生かす術……星野仙一の結論は、桧山の一塁コンバートだった。 桧山は東洋大から92年ドラフト4位で阪神に入団。クリーンナップ候補としての入団だったが、レギュラーを掴むまでには時間がかかった。4年目の95年に115試合出場、打率.249で8本塁打という実績をきっかけに、翌96年には130試合全てに出場し、打率.263で22本塁打という成績を築き4番定着。新庄剛志(現メッツ)とのクリーンナップコンビは、新たなミスタータイガース候補として脚光を集めた。 さらに翌97年も136試合全てに出場し23本塁打82打点という成績を残すも、打率.227は.226の新庄に続くリーグブービー。積み重ねた三振の数は150で、152三振の清原和博(巨人)と共に、池山隆寛(元ヤクルト)の148三振というセ・リーグのシーズン三振記録を塗り替えた。 本来は中距離ヒッターだった打者が、チーム事情で4番を任された途端に自分の打撃を崩す。外野の間を抜く打球が持ち味だった桧山にとっても、突然負わされた阪神の4番という重過ぎる看板は、桧山の中で何かを狂わせたのかもしれない。 その後の長い回り道を経て、01年に自身初の打率.300到達。本塁打こそ12本と大人しくなったが、勝負強く強烈なライナーを飛ばす桧山は、主軸打者として、チームリーダーとして、また選手会長として阪神の中で確固たる地位を築いてきた。その打棒は02年も変わらず発揮されている。 その俺がなぜ! 地位のことを言っているのではない。桧山はキャンプからずっと一塁のノックを受けてきた。つまり、星野の頭の中には、始めから外野戦争の中に桧山を入れる気はなかったのだ。そのことが悔しくない筈がない。 一塁という本職ではないポジションでレギュラーを任された方が幸せなのか、例え敗れる可能性があっても熾烈な競争に加わることを許された方が幸せなのか。それはわからない。 しかし、桧山は一塁のノック中も、そしてオープン戦で一塁を守っている時も、ファーストミットではなく、使い慣れた外野手用のグラブを左手にはめて守備についている。もちろん、使い込まれず固いままのファーストミットを使うよりは、使い込んだ外野手用グラブの方が守りやすいからかもしれない。しかしそれは、桧山なりの意地と言うか、意思表明なのではないかとも思えてくる。 もちろん星野も、消去法でいたずらに桧山をコンバートした訳ではあるまい。桧山は平安高時代は遊撃手、東洋大時代は三塁手として内野の経験を積んでいる。一塁というポジションはどうかわからないが、少なくとも内野手としてまるっきりの初心者という訳ではない。 実際に桧山は、野村克也が監督を務めていた間にも何回か一塁手として起用されている。緊急避難的な起用であったことは間違いないが、内野へのコンバートが持ち上がる度に、桧山は決していい顔をしていない。もちろんその時も、左手にはファーストミットではなく外野手用グラブがはめられていた。 俺は外野手だ、便利屋じゃない! 桧山のそんな声が聞こえてきそうな気がする。しかし、今のチーム状況で桧山がゲームに出るには、今の形でいくしか方法が見えにくくなっているのも事実。星野も開幕には一塁桧山でいくことを公言してはばからない。 桧山は『やっぱりライトからホームやピッチャーを見るのと、ファーストからホームやピッチャーを見るのでは、ゲームに入っていくリズムが全然違う』と言っていた。慣れない守備位置にコンバートされ、その影響でゲームにうまく入っていくことができず、調子を落としたり本来の自分を見失ってしまう。そんな選手を、私は過去何人も見てきた。 オープン戦の桧山は、目立った活躍こそしていないが決して調子を崩しているようには見えない。広角に鋭い打球を飛ばし、不安視されていた一塁守備も、決して上手いとは言えないがまあまあ無難にこなしている。 星野は桧山を必要不可欠な戦力と位置付けている。しかし、少なくとも今シーズン開幕にあたっては、“外野手・桧山”という考えはなかった。桧山を真っ先に競争から下ろしたのか、それとも本当に桧山の打力が欠けては困るから一塁にコンバートしたのか、それは当の本人ではないので何とも断言はできない。 しかし、桧山にとってそんなことはどちらでも関係ない。プロ入り以前は内野手だった桧山の、外野に対する並々ならぬこだわり。それは野村との一連のやりとりを振り返ってもはっきりしている。それだけに、桧山にとって今年は間違いなくプロ野球生活の岐路、勝負の年だ。 守備からリズムを崩して下り坂を転げ落ちていくのか、それとも飄々と安定飛行を続けるのか、或いはひょんなきっかけでジャンプアップしていくのか。 難しいが、少なくとも今はやるしかない。プレーで全てを示すしかない。 桧山の打撃は美しい。大きなフォロースルーも、引っ張った時の糸を引くようなライナーも、左中間に高々と舞い上がる彼独特の本塁打も、全てが美しい。その美しさが色褪せないことだけを、切に祈る。 桧山進次郎、12年目。左手に外野手用グラブをはめたまま、彼の新たな闘いが、もうじき幕を開ける。
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