月の輪通信 日々の想い
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父さんは一日個展会場へ。 義兄は、京都のお茶会へ。 義父母とともに、ひいばあちゃんに付き添う。
朝早く、点滴のためにやってきた訪問看護の人が、 「血圧が非常に低い。手首では脈が取れない」と言われた。 呼びかけにも反応しないし、ずっと眠っておられるよう。点滴もなかなか入らなくて、長い時間かかった。 今日明日あたりが山場かもと言われた。
義兄や父さん、主治医の先生や訪問看護センターなど、あちこちに連絡を取りながら、交替でひいばあちゃんのそばにつく。 義父母も危急の事態に何となくそわそわとうろたえ始めた。 看護士さんから直接伝え聞いたこともよく理解しておられなかったり、何度も聞き返したりなさることが増えた。 私がしっかりして、ひいばあちゃんの最後を看取らなければと思うと、急に薄ら寒く怖くなってきた。
昼、訪問看護センターから電話。 「もし、呼吸が止まったら、救急車は呼ばないでセンターか主治医に電話してください。 呼吸の止まった時間を、見ておいてください。」 とシビアなお話。
小さく口を開けてただ眠っているひいばあちゃんの傍らで、お義母さんと静かに思い出話をしていた。 「あ、とまった?」と、二人同時に気がついて、ひいばあちゃんの口元に手を当てたら、もう呼吸をしておられなかった。 午後1時40分。 ご臨終だった。
「電話しなくちゃ」と部屋を出たとたん、電話がなった。 主治医の先生だった。 容態が気になってかけてきてくださったようだが、「たった今、呼吸が止まりました」と告げるとすぐに駆けつけてきてくださった。 先生が臨終を確認してくださり、死亡診断書の手配をしてくださった。 訪問看護の看護士さんに電話して、ひいばあちゃんの清拭をお願いする。
先生の車を見送ったら、わっと涙が溢れた。 でも、もう少し、泣いていられない。 玄関の外で涙をゴシゴシ拭いて、義兄や父さんに連絡を取った。
夕方、義兄が帰ってきて、義姉や義妹もやってきた。 臨終のショックも落ち着いて、義父が最後の瞬間のことを何度も話していた。気持ちが高ぶって、喋り続けずに居られないのだろう。 義母も少し落ち着くと、いつもよりハイテンションでパタパタと走り回っている。 葬儀屋がやってきて、にわかに家の中があわただしくなった。 ひいばあちゃんが、私の手の中からふわっと消えていなくなってしまわれた。
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