月の輪通信 日々の想い
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2008年01月19日(土) 老いの終幕

寒い朝。
デイサービスに出かけるひいばあちゃんの身支度を手伝うために出動。
食事を終えたひいばあちゃんのお下の着替えを済ませ、髪を結う。

昨年末、100歳の誕生日を迎えたひいばあちゃん。
お正月のお膳もご機嫌よく召し上がって、新しい年を迎えたのだけれど、ここ数日何となく調子が落ちた。
最初は、「寒い寒い」といってお着替えを嫌がることからはじまり、だんだんにちょっとした移動も大儀そうになさるようになった。
寝床まで行き着く前に床にごろんと転がって眠ってしまわれることもある。大きな声で呼びかけても、かろうじて首を振って返事をなさるばかりで、お声を聞く事が少なくなった。
テレビの前に座っていてもうつらうつらと居眠りしていることが多くなり、食事もほんの一口二口しか召し上がらないことも増えた。
心配した義父が、口当たりのよいプリンやお茶を勧めて、かろうじて食事を終える。
今日、かかりつけのお医者様の口から、「老衰」という言葉がはじめて漏れたという。

あちらの扉、こちらの小窓と一つ一つを閉じていくように、静かに生の営みを閉じていかれるように見えるひいばあちゃん。
それでも目覚めれば、部屋から食事の席までは自分の足で歩いておいでになるし、介助もなしに自分でお箸を持ってご飯を召し上がることもできる。
「もう、ごはん、おわり?」と書いた筆談の文字を目で追って、黙ってうんと頷いたりなさる。
食べて眠って排泄をするという最低限の機能を最後まで残しながら、このまま少しずつ家族や外界と繋がる間口を狭めて、老いの終幕へと進んでいかれるのだろう。
「待って、もう少し」と引き止めておきたい気持ちと、
穏やかに歩んでいかれる道の先をじっと見守っていて差し上げたい気持ちと。
複雑な思いで日々を送っている。

ひいばあちゃんの手先、足先は冷たい。
100年生きたひいばあちゃんの心臓は、もう体の隅々まで温かい血液を配るだけの力を持っていないのだろう。
それでも、今取り替えたばかりのパンツ型紙おむつはぼってりと重く暖かい。
それはひいばあちゃんが、100年と三十何日めかの今日という朝を、確かに生きて迎えられたということの確かな証。
奇蹟のような重みと暖かさを、いつまでもこの手に記憶させておきたいと思う。


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