月の輪通信 日々の想い
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2007年11月27日(火) 五年生

地元の小学校での陶芸教室の日。
5年生2クラスの子どもたちと一緒に抹茶茶碗を作る。
私も父さんの助手のおばちゃん先生として朝から出動。
毎年この時期の恒例になったこの教室、オニイが5年生だった年の数年前から始まったのでもう10年近くになるのだろうか。
今日とあさっての二日間で成型し、年が明けてから近くのレクレーション施設にある陶芸窯で素焼きと本焼きを行う。

父さんが見せる水引きロクロのデモンストレーションに、わぁっと歓声を上げる子どもたちの中に、見覚えのある苗字のゼッケンをつけた体操服の男の子を見つけた。一読では読めない変わった読みの苗字は、アユコの同級生Aさんとおんなじだった。
うちへ帰って、アユコに
「Aさんの下の子って、もう、5年生になったんだね。もっとちっちゃい子だと思ってたのに・・・。」
と言ったら、
「そだよ。だって、Aさんの弟はなるちゃんとおんなじ歳だもん。」
と答えが返ってきた。

アユコの口から、「なるちゃん」という名前がふっとこぼれて、一瞬ふっと不意打ちを喰らったように胸を衝かれた。
なるちゃんは、生まれて3ヶ月足らずで逝った私の次女の名。
10月半ばに生まれて、翌年のお正月明けには天に戻った。
生まれつき心臓に障害があり産院から専門の病院に転院し、ほかの兄弟たちとはほとんど手を触れ合うこともなく逝った、縁の薄い赤ちゃんだった。
あの子が亡くなった時、アユコは4歳。
小さな遺影にお花や水をあげる時ぐらいにしか家族の話題に上ることも少なくなった亡き妹の名を、アユコは友達の弟の年齢を数えるときに当たり前のように使った。
そのことが、毎日あわただしく走り回る私の胸に、ぐいと痛く突き刺さった。

たった3ヶ月しか生きられなかったあの子には、秋の終わりから冬、クリスマス大晦日、そしてお正月のたった10日あまりの日々の思い出しか残っていない。春の日差しの中のあの子、夏のきらめきの中のあの子の姿を私は思い描くことができない。
それどころか、何本もの点滴のチューブや最新の医療機器に傅かれ、お姫様のように病院の白い新生児用のコッドにちんまり横たわっていたあの子の顔立ちすら、記憶の中でおぼろげになって立ち消えそうになっている。
「わが子の顔を忘れるなんて」と母としての自分の記憶の儚さを責める気持ちが、「なるちゃん」という名を久々に耳にしたときの鋭い胸の痛みとしてかろうじてまだ残っているのだろう。

もしあの子が生きていたなら、もう5年生。
どんな女の子に成長していたのだろうか。
そんな夢想すらすることが無くなった今の私。
私の手の中には、元気に成長するオニイ、アユコ、ゲンがいて、あの子の生まれ変わりのように生まれてきたアプコがいる。
一年のうち、秋から冬へのたった3ヶ月の間だけ、あの子は今日のような鋭い胸の痛みとともに、私のところに戻ってくる。

ああ、今年も、帰ってきたのだな。
今年は、やさしいアユ姉ちゃんの言葉を借りて「わたしを思い出して」と降りてきたらしい。
さあ、今年もそろそろあの子の為のクリスマスプレゼントを探しに行こう。
脆く儚いガラス細工の天使やツリー。
暖かくも鋭い痛みを抱いて・・・。









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