月の輪通信 日々の想い
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2007年10月07日(日) 襲名披露

父さん、九世襲名披露の日。

直前まで、不眠不休の仕事が続いていた。
250名余りのお客様にお持ち帰りいただく記念品の陶額。
直前まで電気窯フル回転で焼成したまだほの温かい作品を、当日の朝、薄様で包んで包装する。
「松月」の名にちなんで、半月の夜に静かにたたずむ3本の松。
コバルトの吹き付けで描いた夜明けの空が、心なしかばら色に明けつつあるように見えて、最後の一枚を包む手がしばし止まった。
間に合った。
今日の良き日。

襲名を祝ってくださる大勢の方に囲まれて、和やかに宴が始まった。
紋付羽織袴で、緊張した面持ちの父さん。
宴席の仕様や進行の手順は、ほぼ結婚式と同じ。
だから、あとから遅れて宴席に入場してくる父さんのことを、思わず「新郎入場」と言い違えそうになって、何度も笑う。
けれどもそれはまさに、結婚式の晴れがましさ。
私も久々に着慣れぬ和服を着せていただいて、2度目の結婚式さながらの嬉しさをともに味わう。

「ゆくゆくは、松月の名を襲名して・・・」と言われながら、義父や義兄の名前の下で仕事をする年月が長かった。
父さん自身、果たして自分が襲名することが、窯にとって、自分自身の仕事にとって、本当にプラスになるのかどうか悩むことも多かったようだ。
その逡巡は今こうして襲名披露を終えたあとにさえ、ずっとずっと続く。「九世」という名前の重さは、これから父さんが年齢を重ね、仕事を積み重ねていくうちにますます重みを増していくことだろう。
ただ、一つ確かなことは、重い名前を背負って歩く父さんの後ろには、それをまぶしく見上げながらついていく、私や子どもたちがいると言うこと。

宴席の座興に、映像の専門家に作っていただいたVTRを流した。窯の歴史や父さんの仕事中の姿、義父や義兄との歓談の様子などを十数分にまとめた短い映像。
薪窯を焚く父さんの傍らに、頭に手ぬぐいを巻き、軍手姿で見守る子どもたちの姿も入れていただいていた。
会場で初めて映像をみた子どもたち。思いがけないところで自分たちの姿が映し出されて、思わずくすくす照れ笑いが漏れた。
そのすぐあとに流れた、義兄や父さんの子供時代からの古い写真。
大学生の父さんが一心に制作に取り組む横顔を写したセピアカラーの映像は、ちょうど今のオニイにそっくりで息を呑んだ。
いつかはこの子どもたちが、父さんや義兄のように助け合って窯の火を守ってくれる日が来るのだろうか。
そのとき父さんは、そして私は、どんな生き方をしているのだろう。

最後のお客様を見送って、大急ぎで更衣室に走り、帯を解く。
身軽な服装に着替えて、後片付けに加わる。
お呈茶席に使った大量のお茶碗や銘々皿。
会場に展示し十数点の作品。
予備に持参していた記念品や衣装の風呂敷包み。
それに当日会場に届けられたあふれんばかりの花籠の数々。
それらの荷物を積み込み、家族がそれぞれに乗り込むと、3台の車はぎゅうぎゅう詰めの大混雑になった。
いろいろ忙しかったけれど、きっと数々の不手際や不調法はあったのだろうけれど、とにかく今日の一日が無事終わった。

宴席のあとで、会場のスタッフの方々がお客様のテーブルに飾ってあったたくさんの花をいくつもの小さな花束にしてとっておいて下さった。
コスモスやガーベラを集めた可愛らしい花束。
あまりにたくさんありすぎて家には飾りきれないから、すこしだけいただいて残りは処分していただこうかと相談していたら、アユコが「全部持って帰りたい!」という。
これまで準備の間も、宴席の間も、文句一つ言わず黙々と手伝ってくれていたアユコ。最後にたった一つの少女らしいおねだりだ。後ろからアプコも、欲しい欲しいというので、全部持ち帰ることにする。
「それなら、自分で運んでね」というと、二人は嬉しそうに花束を抱えて車まで運ぶ。
「途中、誰か人に見られたらちょっと恥ずかしいね。」ときゃあきゃあ言いながら、ホントは腕いっぱいの花束を抱えてロビーを歩く、その行為そのものが嬉しくてたまらないのだ。

埋もれそうなほどたくさんの花を抱えて、花のように笑う娘たち。
これもまた、父さんの襲名の日を祝う、取って置きの贈り物。
父さん、受け取ってくれましたか。




ご参列いただいた皆様、
どうもありがとうございました。


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