月の輪通信 日々の想い
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10月に父さんの襲名披露の催しが決まった。 その段取りや引き出物としてお渡しする記念品の制作で、大忙しの日々。 父さんも私も、昼夜なく工房と自宅を行き来して、あれやこれやと走り回る。働いても働いても山積みの仕事と逃げ出したくなるような難儀を前に、唸りながら這いずるように一日が暮れる。 そんな毎日。
2学期になって、アプコの下校の迎えにいけない日が増えた。 工房での仕事が立て込んで、アプコの下校時刻にあわせて手が離せなかったり、送迎にかかる2〜30分の時間が惜しいこともある。 また、3年生なって下校の時間が日によって予定表より遅くなったり、お友達の家に寄り道して帰ってくることも増え、1,2年生の頃のような「毎日お迎え」はそろそろ難しくなり始めたせいもある。 「一人でもだいじょぶだいじょぶ!もう3年生だもん」 とアプコなりの自尊心も芽生えてきたらしい。 一人で鼻歌など歌いながら、ひょこたんひょこたんと楽しげに帰ってくる日が多くなった。
今日もアプコの下校時間、私は家で小物の仕上げ仕事をしていた。 玄関のあく音がして、アプコが帰ってきたらしい。 「お帰り」と声を掛けたが、玄関から答えはない。 あれれと思って立っていくと、アプコが玄関の扉を半分開けたまま、俯いて立っている。 「どしたの?こけちゃった?」 ううんと首を振るアプコの目が見る間にウルウルと濡れてくる。 「ありゃりゃ、お母さんが迎えにくると思ってた? なんか怒ってる? 一人で帰ってくるのが、さびしかったの?」 と立て続けに訊く私にアプコはいちいちブンブンと首を振る。そして靴を脱いでうちへ上がると、ランドセルも下ろさぬまま、ゴツンと私の胸に顔を埋めた。 このごろぐんと背も伸びて、アユねぇの口真似をして生意気な物言いもするようになったアプコ。こんなふうな突然の泣きべそは久しぶりだ。 いくら聞き返しても首を振るばかりで、泣きべその理由はちっともわからないので、ご機嫌直しに車で夕飯の買い物に出ることにした。
出がけにざぶざぶと冷たい水で顔を洗って、泣きべその痕跡を洗い流した。 助手席のちょっと恥ずかしそうにアプコが笑う。 「今日ね、帰りの荷物がとっても重くて、途中で手とか足とか、痛くなっちゃった。」 アプコがポツリポツリと話し始めた。 「それからね、お隣のIさんちの近くの草むらでね、ガサガサって、大きな音がしたの。」 「それがこわかったの?」 「こわくないけど、ちょっとね・・・」 「なんの音だと思った?犬?それともへび?」 「う〜ん、へびかなと思った。」 「ニシキヘビみたいなでっかいへび?」 「まさかぁ!でも、そのくらいおおきな音、したよ」 そうかそうか。 たった一人で歩いて帰る山道。 ガサガサとなる草むらの音が、こわい大蛇ののたくる音に思えて、アプコは怖かったんだな。 大人の目から見れば、アプコの行き帰りの送迎は不審者や不測の事故を心配してのことだけれど、幼いアプコにはもっとほかにもこわいものがいっぱいあるんだな。 しっかりしてきたようでもまだちっちゃい女の子なんだ。
「でもさ、アプコはへび、見てないんでしょ? もしかしたら、ねことかウサギだったかもしれないよ? 野鳩かもしれないし、たぬきかもしれないよねぇ。」 「あ、そっか。ねこだったら、もっとちゃんと見てくればよかった。」 アプコは初めて気がついたように、ほっとして笑う。 「うん、ねこだったらお母さんも一緒に見たかったな。」
「だったら、明日はお迎えね。」 そうそう。 明日は早めに仕事を切り上げて、久しぶりにお迎えに行こう。 二人で取り留めのないおしゃべりをしながら、だらだらと長い坂道を一緒に歩こう。 まだまだ幼いアプコと一緒に見たいものがある。 忙しさにかまけて、忘れてかけていたことがあった。 反省反省。
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