月の輪通信 日々の想い
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夏、陶器屋の仕事場は暑い。 連日フル稼働の焼成窯の熱。 施釉した作品を乾かす乾燥庫から漏れる熱。 じっとりと湿気を含んだ埃混じりの空気が、どよんと沈むように溜まっている。 もちろん仕事場にはクーラーは無し。 何もしなくてもジワジワとにじみ出る汗に、どんどん体内の水分を奪われる。 「ご家庭で気軽にサウナが楽しめます」と言うところか。 冗談抜きで暑い。
仕事場での私の定位置は、乾燥庫のまん前。 背後には窯場。 工房の中では一番暑い。 熱気を含んだ空気をジワジワと背中に受けながら、のろのろと釉薬仕事をやっつける。 唯一の冷房装置は大型の扇風機が一台。 作業によっては、急激な乾燥や埃の舞い散りを嫌うため、その扇風機すら使えないこともあるが、それでも工房の少し離れた場所で扇風機が回っていれば澱んだ空気がある程度循環されるためか、心なしか涼しくなったような気になれる。 「毎日、こんなにサウナ状態のなかで仕事してるのに、ちっとも痩せないのは何故?」 と愚痴る私に、見かねた父さんは笑って扇風機を引っぱってそばへ寄せてきてくれる。 「ああ、極楽じゃ〜」 首振りの扇風機の風が通過するごと、気持ちばかりの涼を分け合う。
翌日、朝の家事を終えて遅めに仕事場に入ると、若い職人のHくんが型抜きの仕事をしている。薄い板状の粘土を石膏型に当て、数物の器の生地を作る作業。寡黙なHくんは、耳元でFMラジオの音楽を小さく流しながら、来る日も来る日もただ黙々と型抜きの作業を繰り返している。 いつもの場所に座り、昨夜の続きの仕事にとりかかる。 「あっつー!」 しばらくして、乾燥機の扉の吐き出す熱気に顔を上げる。 そこではじめて、昨日父さんが引き寄せてくれた扇風機が、再びHくんのそばの定位置に戻されていることに気がついた。今朝、始業のときに、Hくんが元の位置に戻しておいたのだろう。扇風機は小さな唸りを上げながら、さして涼しくも感じられない仕事場の熱気をかき回している。 作業台や乾燥機、窯場をしょっちゅう行き来する私や父さんの作業には、のんびりと首を振る扇風機の風は、さして用を果たさない。埃を嫌う釉薬掛けにも、大雑把にそこらじゅうの埃をかき回す直近の風は禁物だ。 だからこそ、扇風機の定位置は一日じっと同じ場所に座って作業を続けるH くんの近くになんとなく定まってはいるのだけれど・・・。
夕方、定時に仕事を終えたHくんが立ち上がり、道具を片付け、エプロンをはずして帰っていく。 「お疲れ様です」 と帰り際、自分のそばのラジオを切り、扇風機のスイッチをパチッと切った。
ああ、そう。 扇風機のスイッチも切っていくのね。 私も、父さんも、あと何時間かこの暑い仕事場でずっと作業を続けているのだけれど。
あえて言葉にして指摘するまでもない、 けれども何かしらイラッと誰かの心を刺した微かな苛立ちに、 若いH君は気づいていない。 一日中、ほとんど言葉も交わさず、ただ黙々と型抜き作業に没頭していた彼には無理からぬこと。いまどき、この暑さに扇風機に頼って涼をとる職場なんてねぇ。
だけど、だけど。 これがオニイだったら、どうだろう。 オニイは、暑い作業場に一台きりの扇風機の風の行方に、気がつくことができるだろうか。 これがゲンだったら?アユコだったら?アプコだったら? 形だけでも、「扇風機、そっちへ向けましょうか?」と、言うことができるんだろうか。 そもそもこんな、わざわざ教え込むまでもない些細な気遣いの機微は、誰が、いつ、どんな風にして、躾けていくものなのだろう。
「おなか、すいたね、今夜は何を食べようか?」 夕食の支度まで、あと1時間弱。 今日の作業をきりのいいところまで片付けてから終わりたい。 再び、扇風機を引っ張り寄せてスイッチを入れ、わずかな風を感じながら、最後のひと板の白絵掛けに取り掛かる。 「そろそろ、カレーとか食べたいね。」 仕事場の顔から家族の顔に戻った父さんと、再び埃っぽい扇風機の風を分け合う。 今日もよく働いた。
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