月の輪通信 日々の想い
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夏休みもそろそろ終盤戦。 ツクツクボーシの声がちらほら混じる。 外出すると、子どもたちは決まって「宿題済んだ?」と声をかけられる。 「う〜ん」と歯切れの悪い返事。 もうじき夏も終わる。
明日は地蔵盆。 工房の隅にある小さなお地蔵さんの祠に子どもらの名前の書かれた赤い提灯を飾り、お菓子や果物を供えて、お寺さんにおつとめに来ていただく。 ごくごく身内だけでお守りするお地蔵さんだけれど、祠をお掃除したり、新しい前掛けを作ったり、あれこれこまごまとやることがたくさんあって、なかなか手ごわい一大行事。 おまけに今年は、同じ日に京都の義妹家族の遅めの里帰りが重なった。 工房の教室では定例の陶芸教室の予定も決まっている。 おいおい、スペシャル3連チャン? ううう、とうなりながら、お供え物や宴会料理の買い物に駆けずり回る一日。
たまたま、大きい子どもたちの外出の予定も重なっていて、頼みの労働力が期待できない。 「ねぇねぇ、お母さん、これ、どこへ持ってくの?」 唯一家に残ったアプコがちょろちょろ後ろを付きまとって、あれこれ質問攻めにする。 「うんうん、ちょっと待ってね。」 とやり過ごしながら、あちこち走り回っているうちにふと気づいた。 さっき、お供えするつもりでちょっと傍らにのけて置いた果物が見当たらない。 あれぇ?と私がきょろきょろしている気配を感じて、アプコが「あ、果物、お地蔵さんとこ、置いてきたよ。」とすかさず答えた。 見ると、さっき紙袋のまんま置いておいた果物が、ちゃんと小さな丸盆に積み上げて、お地蔵さんの前にちんまりとお供えしてある。 アプコが一人でやっておいてくれたのか。
末っ子のゆえに、いつまでも幼い幼いと思っていたアプコ。 上のオニイオネエたちが何かと細かく気を回して手際よく手伝ってくれるようになり、ついつい働き手として期待してしまえるようになったこのごろ、おちびのアプコはいつまでたってもアユコの後ろにくっついて、形だけ「お手伝い」させてもらうだけのことが多い。 けれども、よく考えてみればアプコももう3年生。 「小さい母さん」でもあるアユ姉さんの薫陶のおかげで、ずいぶんいろんな家事や手伝いが器用にこなせるようになってきた。もしかしたら、同じ年齢の頃のアユコよりも上手に出来ることもあるのかもしれない。
一人で薄焼き卵が上手に焼ける。 おなかがすいたら、自分で卵入りのインスタントラーメンくらいは作れる。 洗濯物を干すときに、ぴんと皺を伸ばして干すことが出来る。 階段の隅っこのゴミまできれいに掃き清めることが出来る。 アユコの時には私が一から一つ一つ教え込んだ家事の一こまを、アプコは、上の兄弟たちのすることを見ているうちに、いつの間にか自然に一人で上手にできるようになった。 末っ子っていうのはこんな風に、知らぬ間に大きくなっていくものなのだなぁ。
末っ子育ちの強みは、周りの状況を見回して要領よく自分の出番を察知して立ち回ることが出来ること。 出来ないところはさっさと誰かの助けを借りて、「できました!」のええかっこしぃだけはちゃっかり自分の手柄にする。 アユコやオニイの不器用な生真面目さと比べれば、その日和見主義の要領よさがなんとなくイライラと神経に障ることもあるけれど、それはそれで末っ子なりの自然と身についた世渡りの術。本人はいたって単純に、なんの衒いもなくニコニコと笑っている。
このごろアプコのしぐさや物言いが、驚くほどアユコに似ていて笑ってしまうことがある。 私の家事のちょっとした手抜きを目ざとく見つけて「だめじゃん」と笑うタイミング。 「あ、今ちょっと手を借りたいな」と思っているときに寄ってきて、「呼んだ?」とさりげなく手を貸してくれる要領のよさ。 きっとアプコそのうちに、今のアユコのような「使えるムスメ」に成長していることだろう。 たまの駄々っ子、でれでれ甘えん坊はご愛嬌。 第2の「小さい母さん」の出現が嬉しく待たれる末っ子姫だ。
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