月の輪通信 日々の想い
目次過去未来


2007年07月15日(日) 背負っているもの

数日前のこと。
ついさっき仕事から帰ってこられたばかりのお隣の奥さんが、家の前の水路で飼い犬の体を洗っておられた。
お隣の犬は一抱えもある大型犬。
普段はうちの中で飼っておられるので、朝晩の散歩のときに時々姿を見かけるくらいなのだが、久しぶりに見たお隣の犬は異様にやせて元気がない。
奥さんが水路の水を汲み上げて体を洗っている間、犬はうなだれて頭を下げじっとされるがままに立っている。
「もうね、オムツしてるのよ、この子」
と、悲しそうに奥さんが教えてくれた。
家の人たちが帰ってくるまで、排泄を我慢することが出来なくなってしまったのだろう。オムツで汚れた犬のお尻に、奥さんは何度も何度も水路の水をかけ、バシャバシャと洗っている。
何かの病気のせいなのか、もう高齢のせいなのか。
ついこの間まで元気に散歩していたと思っていたのに、急に衰えた老犬のとろんと力のない目がいかにも悲しげで、なんだか胸が痛くなった。
なんでもない振りをして、普通に勤めに出て、いつものように誰かとにこやかに挨拶をかわして、帰りにスーパーで夕餉の食材を買って・・・。
そんな当たり前の日常を過ごしているあの人にも、うちに帰れば排泄もままならなくなった老犬が待っていて・・・・。
かわいがってともに生活してきた愛犬の老いと、そう遠くない未来の死の予感。
出来ることならなかったことにして、ずっと忘れていたいような辛い事や、重くて重くて誰かにひょいと投げ渡してしまいたいような重荷を、大なり小なりみんな何かしら抱えて生きている。ああ、この人も逃れられない重苦しい荷物を背負ったまんま、当たり前の今日という一日を過ごしてきたのだと、心に何か繋がるものを感じた。

田口ランディのブログを読む。
アルコール依存症の実父が骨折をして入院した。どうやら痴呆症も併発しているらしい。入院先の病院で、父親は「帰りたい」と大きな声を出し、わがままを言う。粗暴な老人を扱いかねて、看護士がそのたびに電話で家族を呼ぶ。仕事を抱え、自分の家族の日常の家事を抱え、その上、荒れる父を看るために毎日のように病院へ通う。
それでも彼女は言う。
「でも慣れれば、もうこれが日常である。
そうなってしまえば、なんとかなるもので、気持ちも落ち着いてきた。」
重い荷物を背負ったまま、それでも当たり前に夕飯をおいしく食べ、子どもの寝顔に心癒され、また明日のために眠りにつく。
そんな風にして人は生きているのだなぁと思い至る。

近頃、我が家の老人たちの日常は比較的平穏だ。
義母は処方されている薬があったのか、以前のように身の回りの家事のほとんどが出来るまでに回復した。
義父は、雨が続くと持病の腰痛や怪我の傷が痛むといって機嫌が悪くなるが、それももう口癖のようなもの。
ひいばあちゃんは、時折昼夜が逆転して義父母を困らせるが、週に2回になったデイサービスに出かけることで脳内時計の時刻が合うらしい。
工房の仕事も、ようやく一区切りを越え、ゆるゆると専業主婦の穏やかな日常が戻ってきた。

だからといって思い煩う問題がきれいになくしまうわけでもなく、老いていく人たちのこと、育っていく子どもたちのこと、仕事のこと、健康のこと、大小さまざまの難儀なお荷物を背負ったまま、今日も一日、生きている。
あの人も、この人も、私だけじゃない、みんな何かしら担いで生きているのだという事実に、そっとやさしく背中を押されながら。



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