月の輪通信 日々の想い
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2007年06月15日(金) 平等

夜剣道。
早めの夕食を取ったゲンを道場に車で送る。
暑くなってきたので、持参の水筒はペットボトル2本分。
それに帰りの栄養補給にラップで包んだ大きな梅干おにぎり。
中学生になって大人稽古にも出ることが許されるようになったゲン。
結局同じ道場から大人稽古に残るようになった中学生はゲン一人で、そうそうたる大人の剣士達に混じって、こてんぱんに揉まれて帰って来る。
「今年はいまんとこ、まだ皆勤やで。絶対休まへんねん。」
と、重い防具袋をひょいと担ぐ。ここ何ヶ月かでずいぶん体格も良くなった。
偉い高段者の先生達にもそこそこ可愛がってもらっているようだ。
ゲンはゲンなりに、オニイとはまた違った感覚で道場通いを楽しんでいるらしい。

道場に着いて、車を止めたところで、「そういえばな」とゲンが話し始めた。
何の脈絡もなく「そういえば」で新しい話題を始めるのはゲンの口癖。どうでもいい話のような振りをして、結構誰かに聞いてもらいたい大事な話をするときに使う言葉だ。
「最近な、やたらと『平等』って言いたがるヤツって、多いよな。」
どうやら今日の「聞いてもらいたい話」は愚痴らしい。
「そうかな。たとえばどんな時?」
と聞き返して、即座に「シマッタ!」と思う。
ちょうど車のエンジンを切って、ゲンがシートベルトをはずした所。込み入った愚痴話を聴くには微妙に時間が足りない。私が無意識のうちにせかすような口ぶりで聞き返したせいで、ゲンは「ま、いろいろな。」と適当に話を切り上げて、車を降りて行ってしまった。

学校で何かトラブルでもあったかな?
それとも兄弟げんか?
ゲンの稽古が終わるのを待つ間、買い物をしながら、車を走らせながら、何となくゲンの言う「平等」という言葉の意味が気になって、ふっと考え込んでしまう。。
ゲンはいったい、どんな「平等」のことを憤っているのだろう。

日常生活の中で、人が強く「平等」を主張するとき。
それは、自分自身が不利益を蒙らないように身構えるときや、他人より自分がちょっとでも得をしたい、「ええめ」をしたいと思っているときが多いような気がする。
「平等に」といいながら、その実、自分だけが損をすることがないように、自分と他人の立場を天秤に載せ抜け目なくその傾きに目を光らせて、あわよくば自分の取り分を少しでもかさ増ししようとする、そんな小狡さが見え隠れしていたりする。

このところ、私自身、「割に合わない」とか「不公平」とかそんな言葉がしょっちゅう頭の中で浮き沈みしてしまうことがたびたびあった。
だから、不意にゲンからポンと投げ渡された「平等って言いたがるヤツ」という言葉が、小さくて痛いトゲのようにいつまでも心を刺した。

「私ばっかり、しんどい思いをしてるみたい」
「あの人だって、ここまで負担してくれなくちゃ、不公平」
「平等」という言葉を盾にして、自分のもっている荷物をほかの誰かに振り分けようと愚痴る私は醜い。
私は私の、あの人はあの人の、できる範囲の最大限のことをする。
たとえ、それが等分の負担ではなくても、公平だと考えればいいじゃないか。

結局、ゲンの「平等と言いたがるヤツ」というのは、友達との些細な口げんかから出た愚痴話だったらしい。
自転車通学のゲンが徒歩通学の友達A君のかばんを荷台に載せた。
後からB君がやってきて、自分のかばんも載せてくれと言う。
ゲンが断ると、B君が「Aのかばんは載せてやるのに、自分のかばんを載せてくれないのは不公平じゃないか。そんなの、平等じゃない」と絡んできたのだという。
口げんかの苦手なゲンは、とっさに理屈で切り返すことができなくて、口惜しい想いをしたようだけれど、その分、自分自身の中で「平等」とか「不公平」とか言う言葉を何度も頭の中で転がしてあれこれ考えていたのだろう。
「おかあさん、『平等』って必ずしも正しいこととは限らないよな。
仲のいいA君のかばんを載せてやるのは、気にならないけど、嫌なヤツと思ってるBのかばんは載せたくない。それって、悪いこと?」
帰りの車の中で、ゲンは珍しく雄弁に語った。

ゲンの通う剣道の道場では、段位や年齢、剣道歴の長短によって席次が決まる。
教える側も教えられる側も暗黙の席次によって、挨拶の順序や座る場所、防具や荷物を置く場所も定まっている。
特別格に偉い先生のためには、一番上座に場所があけられていて、稽古が終わると若い門弟が駆け寄っていき、防具袋や竹刀袋の荷物を下駄箱のところまで運び、最敬礼で送り出す。
新米ペーペーのゲンの席次はいつも間違いなく一番末席。稽古後の挨拶に行くのも寸評をいただくのも一番最後。完全な縦社会だ。
そこでは「平等」という概念はないけれど、技量や年齢、経歴に基づく厳然たる格差を重んずる長幼の序が存在する。

「平等じゃないけど公平ってこともあるよね。
誰かにとっての10の重さが、他の誰かにとっては5の重さだったり、20の重さだったりってこともあるもんね。」
ゲンの話にあいづちを打ちながら、その実私自身に言って聞かせるように「平等」と「公平」の意味を思う。

















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