月の輪通信 日々の想い
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2007年05月21日(月) 山を越える

工房は次の日曜日に迫ったお茶会の準備と来月始めの襲名展に向けての準備でおおわらわ。
お客様にお料理を載せてお出しする四方皿の制作が間に合わない。
お茶席の道具類の制作もギリギリまで食い込みそうだ。
ましてや、襲名展の作品つくりまでにはなかなか手を出せない。
食事と短い仮眠の時間以外は、一日のほとんどを工房ですごす父さん。
私もほぼフルタイムで仕事場に入る。
毎日毎日ひっきりなしに続く釉薬掛け、焼成、釉薬掛け。
ついこの間作ったばかりのポットの釉薬が、あっという間にカラになり、釉薬に合わせて使うCMC(ふのり)の瓶が何本も空く。

義父が骨折で入院して約1ヶ月。
手術後、何日か意識が混乱して、一時はどうなることかと心配された義父の意識もようやくはっきりして、足のほうのリハビリも順調に進んだらしい。
そろそろ退院のめども着き始めたようだ。
一方、ここのところ、義母の体調がとても悪い。
体のあちこちの痛みを訴え、起きられないほどの苦痛が続き、早朝、電話で父さんを呼ぶ。精神的なストレスや疲労による症状だと医者は言う。
義父が入院して、夜はひいばあちゃんと二人きり。自分自身の体調不良や不安も重なって、義母の気力は萎えていってしまうのだろう。
義父母が二人して衰えると、それまで一日のほとんどを自室で寝たり起きたりして過ごすようになっていたひいばあちゃんのテンションがにわかに上がり、横になってどんよりしている義母を力づけに行ったり、自分の食べた食器を自分で洗おうとなさったり。そうかと思うと、突飛な言動や思いがけない失敗で周囲を慌てさせたりする。
以前「この家の3人の年寄り達は、お互いによっかかりあい、補い合ってバランスをとって生活しているのだ。」と医者が言ったそうだ。
「若いモンたちにはまだまだ・・・」とひいばあちゃんが頑張る。「ひいばあちゃんの面倒をちゃんと見なくちゃ」と義母が頑張り、「お母さんをささえてやらねば」と義父が気遣う。その微妙なバランスの上に高齢者家族の日常は危なっかしく立っている。ひとたび、誰かが倒れるとたちまちそのバランスは崩れ、他の誰かの日常もバタバタと脆く崩れてしまう。
そんな恐ろしい予言が、少しづつ少しづつ現実のものとなりつつあるのだろう。

いよいよ、3人の高齢者を本格的に担がなくてはならない時期が来ているのだなぁと思う。
幸い、義父母の家は工房の2階で、昼間はいつもだれかしらにそこにいる。介護のほとんどのことは息子である二人が中心になって担ってくれているし、私も外に勤めに出ているわけではないので時間の融通はきく。
けれども一方、父さんも義兄も、そして私も、仕事と余暇の区別のないフルタイムワーカーだ。老人達の介護や通院に時間をとられれば、その分の仕事は先送りになり、余暇や休息の時間を削って取り戻さなければならなくなる。父さんも義兄も、なんとか時間をやりくりして仕事と介護を両立させようと頑張っているが、もうぎりぎりいっぱいといったところだろう。

今日、義父が可愛がっていたビーグル犬のコロが死んだ。
朝、いつものとおり元気に散歩にでて、ウンチをし、ガツガツとドックフードを食べて尻尾を振っていた。
その数時間後には、お地蔵さんの前のアスファルトに横たわって死んでいた。まだ体は温かかったけれど、何匹かのハエがすでに飛び始めていた。
義父の入院中、コロの散歩はゲンとアプコの仕事だった。
最初アプコはぐいぐいコロの綱に引っ張られて走っていくのが精一杯で、ウンチの処理までは一人では出来なかったのだけれど、最近ではちゃんと一人でナイロン袋で拾ってくることが出来るようになった。
「コロのウンチ、ほかほかでぬくかったよ」と、アプコは笑った。
おじいちゃんのいない間に、餌の前の「待て」と「よし」を覚えさせようと、父さんと何度も号令をかけた。ようやく最近、お座りして待つことが出来るようになって、「早くおじいちゃんに見せたいね」といっていたばかりだった。

学校から帰ったアプコは、急に冷たくなったコロを撫でながらわんわん大きな声で泣いた。
コロとのお別れに駆けつけてきた従姉妹のHちゃんとキャアキャア笑いながらボール遊びをし、コロの遺骸を裏山に埋める段になって、再びまた号泣した。アユねえちゃんに肩を抱いてもらい、ゲンに慰めてもらいながら、何度も何度もコロの名前を呼んで泣いた。
いつまでも泣き止まないアプコに、アユコは夕方のおやつ代わりにラーメンを作って、「食べる?」とアプコを誘った。涙で真っ赤になったまぶたで、「食べる」と頷くアプコ。
二人で一つのラーメンを分け合って、横から割り込んできたゲンにちょっとだけ食べさせたり、取り合ったりして、アプコはようやく泣くのをやめた。
「おかあさん、いっぱい泣くと目が痛くなるね。こんなにいっぱい泣いたの、はじめてや」と、アプコは言った。
ほんとにね。
どうしようもなく悲しくて、わんわん大きな声で泣いてしまうとき、ちゃんとそばにいて、あれこれ慰めてくれるお兄ちゃんお姉ちゃんがいてよかったね。

義父の怪我。
義母の体調不良。
さらに高齢のひいばあちゃんの介護。
お茶会。
父さんの襲名展
そのほかにも山積みの仕事。
そしてコロの突然死。
なんでいちどきにこんなにあれこれ重なるかなぁ。
重苦しく、暗澹たる空気が工房に流れる。
今、私達はまた大きな険しい山を乗り越えていかなければならない時を迎えているのだろうなぁ。

だけど。
この前、私達が乗り越えた大きな山は、生まれたばかりの次女の闘病と臨終を見守った重苦しく辛い数ヶ月だった。
まだ上の子供達も幼くて、「しっかり者のお兄ちゃん」だったはずのオニイもたった5歳のチビちゃんだった。
あの頃、なにかと手をかけてやらなければならないお荷物だった子供達が、今度の山越えには、あれこれ手伝ってくれ、支えてくれ、ともに泣いてくれる存在としてそばにいる。
幼いアプコですら、義父の愛犬の死を自分の責任のように悲しんで、おじいちゃんの落胆を気遣う優しさも見せられるようになった。
あの時、父さんと二人で歯を食いしばるようにして乗り越えた道のりを、今度は大きく成長した子供達とともに手をつないで歩んでいくのだろう。
この子達がいてくれてよかった。
きっとこの山も越えられる。
そんなことを思う。




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