月の輪通信 日々の想い
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2007年04月04日(水) ヨモギ団子

朝、起きたらやけに寒くてびっくりした。
窓の外にはきれいな春の青空。
と思ったら、急に真っ暗になって雨が降り出したり、冷たい風が突風のように吹きすぎたり、そしてまた暖かな日差しが戻ってきたり。

父さんの上京で工房の仕事はほぼ休業状態。
我が家にもようやく春休みらしいのんびりした時間を楽しむ余裕ができた。
今日は午後から、アプコと近所のKちゃんをつれて近くの植物園まで出かけるつもりだったのだけれど、あまりの天候に急遽中止。家の中で遊んでもらうことにした。
それでも、にわか雨と交互にやってくる申し分ない暖かな晴天に、子どもたちが「植物園行けばよかったなぁ」と焦れるので、近所の空き地で目立ち始めたヨモギの若葉を摘んでこさせて、急ごしらえのヨモギ団子作り。

「ヨモギの葉っぱは裏が白いの。」
アプコはヨモギの見分け方を学校の生活科の授業で教えていただいたらしい。近所の草むらにはヨモギとよく似た形の葉っぱの植物が何種類か生えているようで、二人で額を寄せ合って摘んだ葉っぱをより分けている。
それでも時々判別のつかないものもあるようで、「おかあさ〜ん、これどっち?」と訊いてくるので、「ちぎって、クンクン匂ってみ?ヨモギのにおいしてるかな?」といちいち答える。
「あ、そうか」と、今度は二人で鼻を寄せ合って葉っぱをクンクンしている様子がかわいい。

子どもの頃、実家ではヨモギ団子やお彼岸のおはぎを作るのは同居していた祖母の仕事だった。
大きなざるで摘んできたヨモギを水にさらして、他の雑草や汚い葉っぱを選り分ける。
ヨモギ摘みと言うと、私たち子どもは手っ取り早く、大きく育ったヨモギを茎ごとブンと引きちぎって集めて回ったものだけれど、祖母ははいつも、新茶の若芽を摘むように、先のほうの若くて柔らかい葉先ばかりを器用に長さをそろえて摘んでいた。
あのころ、祖母はいったいいくつだったんだろう。
今頭に思い浮かぶヨモギを摘む祖母の手は、晩年のシワだらけで節の立った老人の手なのだけれど、よく考えてみればあの頃確か祖母は50代後半か60歳ちょっと。まだまだそんな高齢者ではなかったはず。
母とともに家事をこなし、お針仕事や庭の作業も達者に楽しんでいた祖母。
たまに思い出したように、お団子の粉を捏ねたりわらび餅のお鍋をガーッとかき混ぜたりしてくれた。あれは季節の変わり目の楽しい気分を孫たちと分かち合うおばあちゃん流のレクレーションだったのだろうか。
出来たお菓子はたいてい小さな金色のお皿に載せて、お仏壇に供えてチ〜ンとリンを鳴らすのが習慣だった。

アプコとKちゃんが拵えたヨモギ団子はぜんぶで15個。大小さまざまなジャガイモのような不定形。
「おばあちゃんたちにあげてきて。」と、まず小皿に3個。
そして「Kちゃんちは何人家族だったっけ?」と家族の分だけお土産用にパックに詰める。
あとはみんなで一つずつ。余ったのはジャンケン争奪かな?
春の香りのヨモギ団子。
それでもまだ、幼い日の祖母の手がどんなだったか、よく思い出せなくて、物思いながらお茶を入れた。




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