月の輪通信 日々の想い
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朝。 早々に家事を切り上げて工房へ。 昨日、あと一息のところで中断していた個展の案内状の発送準備。さっさと仕上げて集荷に来てもらわなければ。 父さんはまだまだ出品作品の制作に追われているし、前売りの作品の発送の準備も進んでいる。 皆があわただしく走り回る月曜の朝。
2階の居間で、義父と義母の話す声がして、そのあと私は義兄に呼ばれた。 ひいばあちゃんの体調が悪いらしい。いつも通院の送り迎えをしている義兄は、今とても手が放せる状態ではないので、代りに近所の医院まで送っていってくれないかとのこと。 「よし来た、合点」と急いで車を取りに自宅へ戻り、玄関先に車を止めて、その間3分。 さあ、ひいばあちゃんを連れてきて・・・と思って中に入ると、体調が悪いはずのひいばあちゃんがゆっくりゆっくり階段をおりてこられる。
「おばあちゃん、これから仕事に降りはるつもりらしい。 とりあえず病院行きはもういいわ」 ひいばあちゃんのあとを追うように降りてくる義父と義母。 あらら、せっかく車もってきたのに、キャンセルですか。 ひいばあちゃん、なにやら「兄ちゃんから頼まれた仕事をせんならんから・・・」言い張っておられるらしい。 近頃は、仕事場へ降りてこられることもぱったりとなくなって、昼間は寝たり起きたり、ぼんやりしておられることの多くなったひいばあちゃん。 何ヶ月ぶりかで土仕事をしようかと言い出されるくらいだから、多分体調もさほど悪くないだろうということで、病院行きはとりあえず中止。
さて、急にひいばあちゃんが仕事をなさるとなると、これまた大変。 ひいばあちゃんが長年指定席としていた作業場は、最近では見習いパート職人である私が間借りして使わせてもらっている。 ひいばあちゃんがいつ降りて来られてもいいように、ひいばあちゃんの仕事用の前掛けや専用の道具類はできるだけもとの場所に置いたままにしてはいるが、仕事が立て込んでくると、ついついそれを脇に寄せて作業スペースに借りることも多くなる。とくにここ数日は、数物のお皿の仕上げ仕事が立て込んでいて、新しい釉薬の容器や塗りかけのお皿があちこちに山積みになっている。 大慌てで仕事場に先回りして作業台をあけ、新しい粘土を用意してひいばあちゃんを迎える。それでもひいばあちゃんが腰掛けたときには作業台の脇に片付け切れなかった釉薬の容器がいくつか残っていて、 「なんやら、ようけ置いてあるな。」と軽くお小言。 はいはい、今片付けますとおおわらわ。
ああびっくりした。 普段うとうとと居眠っておられる事の増えたひいばあちゃんの、突然の仕事場降臨。 てきぱきと身の回りの道具類を整えて、がっちりと土塊を掴む手は力強い。何ヶ月も仕事場から離れていたというのに、つい昨日の続きの仕事に取り組むようにすんなりと土をひねり始める。作業が始まるともう、周りの人間に気を取られることもなく、ただただ作ることに没頭していかれる。 いったい、何がひいばあちゃんを仕事場へ呼び戻したのか。 どんな神様が、眠れるひいばあちゃんを揺り起こしたのか。 あっけに取られる思いで、ひいばあちゃんの写真を撮った。
近頃ではひいばあちゃんの耳はほとんど聞こえていない。 朝と夜の区別があやふやになって、大昔のことをつい昨日のことのように話されたり、今さっきあったことを忘れていらっしゃったりする。 しょっちゅう顔をあわせる人のことも、誰だかわからなくなっていることも多い。 今年で100歳。 年相応に、順調に、老いを極めていっておられるということなのだろう。
つい最近、私も「どこぞの女の人が来たはるよ」と言われた。 そばに居た義兄が私を気遣って、「ひいばあちゃんは、こないだうちの子の顔もよく判らなくなってたみたいだよ。」と言いつくろってくださった。けれども、私は義兄が思いやってくれるほど、ひいばあちゃんの言葉に傷ついたわけではない。 ひいばあちゃんの小さな頭の中にたくさん積み上げられた記憶の引き出しのうち、だんだん錆び付いて開けなくなった引き出しが増えてくる。多分、私のことを記憶してくださっている引き出しも、きぃきぃ軋んで次第に開かなくなっていくのだろう。けれども、引き出しの中身は決して消えてなくなってしまうわけではなくて、ひいばあちゃんの頭の奥の奥で私との記憶は眠りにつこうとしているのではないかと思う。 それならばせめて、泡のように消えていく今日のひいばあちゃんの記憶に残る「私」は、「なんだかニコニコしてて、気のよさそうな仕事場のおばちゃん」「来てくれるとなんとなく心地よいどこぞの女の人」でありたいと心から思う。 この家に嫁いできて17年。 厳格な先代夫人、生涯職人を貫く偉大な師匠として、ひいばあちゃんから学ばせていただいたものは、とてつもなく大きい。 そのことに報いるために私ができることは、ただ黙々と土に向かうひいばあちゃんの姿をこの目と耳と心で自分の記憶の中にしっかりと書き留めておくこと。 そんな気がしている。
BBS
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