月の輪通信 日々の想い
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2007年03月16日(金) ナイフ

工房では、お皿の釉薬掛け下塗り。
自宅に帰れば、箸置きの型抜き、成形。
ここのところ、私の「パートのおばちゃん」業もほぼフルタイム。
てきめんに手の荒れが進んだ。
土の仕事を終えて、荒れた手にたっぷりとハンドクリームを塗ってから、
「ああ、晩御飯・・・」
とそのたび、舌打ち。
塗ったばかりのクリームを洗い落として夕餉の支度。
そんな毎日。

手の平を広げたほどの丸い菓子皿に透明の釉薬を塗る。
最近になってようやく任されるようになった釉薬仕事。私が一度塗りをしたものを、乾燥後父さんが同じ釉薬で仕上げ塗りをする。
透明の釉薬を使うのは、少々塗りむらが出てもそのあとの仕上げ塗りである程度修正が可能なため。新米パート職人の私には、扱いの難しい色釉や仕上げ塗りの仕事はまだまだ任せてもらえない。

元はひいばあちゃんの仕事場であった、キコキコ音のするオンボロいすに腰掛けて、素焼きの皿にたっぷり釉薬を含んだ刷毛を落とす。皿に乗った釉薬が乾いてしまう前に素早く刷毛を動かして、刷毛目が残らぬように均等に塗り広げる。
刷毛を動かすタイミングと、釉薬とCMCの調整具合が難しくて、なかなか思うように上達しない。
「いったい、何年ぐらいやったら、一人前に釉薬掛けの仕事が任せてもらえるようになるのかしら?」と、父さんに訊いたら、
「毎日その仕事ばかりやっても、3年くらい」と厳しいお答え。
家事の合間に、釉薬掛けも型抜きも荷造り仕事も雑多に請け負う雑用パートの私には果たして何年かかることか。
最初に比べていくらか上手になったかと密かに喜んでいた鼻柱を、ポキンと折られて、ちょっとガックリ。
修行の道は厳しいのだ。

今年100歳になるひいばあちゃんは、ほんの数年前までこの場所で釉薬掛けや作品の下地作りの仕事を現役でバリバリこなしておられた。最近では、耳も遠くなり、足腰も衰えて、時には昼と夜との区別がつかなくなって、仕事場に下りてこられることは滅多にない。それでも少し前までは、突然ふらりと仕事場を覗きに来られて、急に思い出したように土をひねるといわれることがあった。
そのために、ひいばあちゃんの釉薬掛け用の前掛けは今もひいばあちゃんの仕事場に置かれたまま。カンナやたたき棒などの入った道具箱も埃や土くずにまみれて、最後にひいばあちゃんが使われたときのままに置いてある。
間借り人の私は、いつも遠慮しながらひいばあちゃんの道具を少し脇へ寄せて、釉薬掛けのためのスペースをあける。そして仕事が終わると、「お邪魔いたしました」と脇へ寄せた道具箱を元の場所に戻す。
まだまだここは、ひいばあちゃんの仕事場なのだとそのたび思う。

箸置きの型抜き仕事に使う削り用のナイフが欲しいと思っていた。
薄い鋼の板を砥いで尖らせただけの陶芸用のナイフ。
父さんの仕事場にもたくさんあるのだけれど、ひょいと借りようとすると「あ、それは駄目」といわれたりする。何度も砥ぎを重ねて自分の手に合うように慣れ親しんだ手元の道具。傍目にはどれも同じに見えるのだけれど、使用する本人にとっては微妙な使い勝手というものがあるのだろう。
型抜き仕事をたくさん請け負うようになって、私もそろそろ自分の手に合う自分の道具が欲しいと思うようになった。

埃だらけのひいばあちゃんの道具箱の中身に初めて触れた。
土のついたままのカンナやヘラの合間に、先が丸くなるほど使い込まれた肥後守刀や板状のナイフも何本も見つかった。
板状のナイフのもち手部分には、ガーゼの布が巻きつけられビニールテープで補強されている。使い勝手がいいように、ひいばあちゃんが自分で工夫してつけられたものなのだろう。ひいばあちゃんの手の形に持ち手が汚れたナイフは、いい具合に磨耗して使い心地がとてもよさそう。
長年使い込んだ道具の親しさが、手に優しい。

「このナイフ、もらってもいいかなぁ。」と父さんに訊く。
もう何年も触れられていないひいばあちゃんの仕事道具。
そろそろ、ぺーぺー職人の私が譲り受けてもいい頃かもしれない。
「ナイフ一本くらいなら・・」とのお許しを受けて、ひいばあちゃんのナイフを自分の道具箱に移した。
「ナイフ、借りてくね」と声を掛けても、その言葉が聞こえているんだかいないんだか、ひいばあちゃんはにこにこ笑って頷いておられる。
「そろそろ、いいよ」の笑顔なのか、「早く一人前になりな」の頷きなのか。
ありがたく押し頂いて、大先輩の道具を譲り受けた。



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