月の輪通信 日々の想い
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2007年02月17日(土) ケセラセラ

ネットのニュースを見ていたら、「ケセラセラ」という歌の原詞の作者がなくなったという。
ドリスデイが歌って映画の主題歌に使われ、日本ではペギー葉山などが訳詩で歌って流行した曲。
幼い頃、母がよく鼻歌で歌っていた。
ゆったりした曲調とのんびりした歌詞が、おっとりした専業主婦だった母にはよく似合っていたように思う。

「私がお嫁に行く人はどんな人?お金持ち?それとも、貧乏絵描き?」
と問う娘に
「ケセラセラ なるようになるわ 先のことなど わからない」
と母親が答える。
母と娘のたわいない夢物語の会話を、自分もまた子どもたちに語り継いでいるという繰り返しの不思議。
何度も何度も耳にした母の歌声を、気がつけば台所でトントンとお菜っ葉を刻みながら、口ずさんでいることの可笑しさを思う。
「貧乏絵描き」とまでは言わないものの、決して「お金持ち」とはいえない伴侶とともに、家庭を営む今の私。
「なるようになるわ」と、やや投げやりにも聞こえる言葉が、程よいエールとなって耳に残る。


先日、実家の父の手術に立ち会うために郷里へ帰った。
日々体を鍛え、趣味やボランティアにも奔走する元気な父の初めての手術だ。「大丈夫」とは言うものの、5時間もかかるという開頭手術。
心細い思いのまま、母とともに手術の進む時間を待った。
父は手術に際し、その立会いに離れて暮らす子どもたちがくることを母に怒ったという。子どもたちにはそれぞれの家庭があり、仕事があるのだから、わざわざ呼び寄せることはない。母がただ一人で待っていてくれればいいのだという。常に自分に厳しく、母にもその厳しさを求める父らしい言い分。

とは言うものの、長い手術の時間中、心配してやきもきしてただただ時計を見ながら待っているのは母。長時間の手術に耐える父自身の肉体もがんばっているには違いないが、なんと言っても麻酔で眠って夢の中なのだ。
父の手術に子どもたちが駆けつけるのは、もちろん父の病状を心配してでもあるけれど、不安な時間を一人で耐える母のそばに付き添うためなのだと私は思う。

長い長い待ち時間の間、母はせっせと編み針を動かし続けていた。手術の終了予定時間を睨みながら、「お父さんと競争よ。」と言いながら、残り少なくなった毛糸の玉を繰る。
そして日に日に気難しくなってきた父との日々を熱心に語リ続けた。
子どもたちが巣立ち、同居していた祖母を見送って、久しく続く夫婦二人の生活。積もる愚痴もあるのだろう。
親しい友に語るように夫婦の機微を語る母に、娘の私もまた親しい友のようにただ相槌を打つ。
私も母とこんな会話をもてる年齢になった。

予定時間をかなりオーバーして、父の手術は終わった。
母はとうとう最後まで編みきれなかった解けた毛糸をくるくると巻いて片付け、「お父さんに勝てんかったわ」といいながら、手術室から出てくる父の寝台を追った。
手術は成功、経過もよいだろうとの執刀医のお話。
麻酔から醒めた父とも一言二言言葉を交わして、無事を確認。
ホッとした。

帰りのバスの車中、「愚痴をいっぱい聞いてくれてありがとう」と母は笑った。
「いろいろあるけどね、自分で選んで結婚した人だしね。
もし生まれ変わっても、またこの人と結婚してもいいかなと思ってるのよ。」
はぁ、愚痴の締めくくりはおのろけですか。
「でもね、今度はもっとうまくやるわ。」
確かに人生には「あの時、こうしておけばよかった。」と振り返るポイントがいくつかある。別の選択をしていたら自分に訪れたかもしれない別の人生を夢想して、今の自分を笑って認める。
ケセラセラの母もなかなかシタタカなものだなぁと、感心しながら帰路に着いた。


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