月の輪通信 日々の想い
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2007年01月10日(水) じっと手を見る

乾いた洗濯物を畳んでいたら右手の親指の先がピリッと痛んだ。
あ、まただ。
つめの端のかどの部分のひび割れ。
この季節、工房で土の仕事や釉薬のポット洗いの日が続くと、必ず指先の爪の端っこがひび割れる。
小さな傷だけれど、何かするたびぴりりと痛んで、治りかけたかと思うとまた何かの拍子にぱっくりと口をあける。

私の何倍も土を扱い釉薬に触れる父さんは、いつも私より何日も早くひび割れを作る。
指先の繊細なタッチが必須の仕事柄、指先の傷は困りもの。
液体絆創膏という名のピリピリ沁みる接着剤のような塗り薬を重ねて塗って、急場をしのぐ。
「イタイ、イタイ」といいながら、ひび割れの指に沁みる薬を互いに塗りあう。バカダナァと二人で笑う。

無理やり閉じた傷が重なり、父さんの指先はますます硬くなる。
硬くなった指先が、手品のように丸く柔らかな曲線を造る。

最近スーパーに買い物に行って気がついたこと。
スーパーで貰うレジ袋の口が開き難くなった。
親指と人差し指で袋の口を何度も何度もひねるのだけれど、ぴったりと密着した袋はなかなか口をあけようとしない。
仕方がないので袋詰め台の隅においてある濡れ布巾でちょいと指先を湿して袋をひねると、袋はあっけなく口を開く。
ああ、いやだな、指先に潤いが足りないのだなと思う。
昔、少し年配の女性がレジ袋の口を開くのにぺろりと指先を舐めているのを見て、「いやだなぁ、おばさんって」と思ったことがある。あの頃の私はまだまだ若くて、年齢を重ねると指先の潤いがなくなると言うことが判らなかった。
今、あの人たちと同じような年齢になって、ようやくレジ袋の口がなかなか開かなくて、思わず指先をぺろりとやりそうになるじれったさが判るようになった。さすがにまだ、指先ぺロリには抵抗があって、手近に濡れ布巾を探す恥じらいはかろうじて残ってはいるけれど。

若いオニイやアユコの手は美しい。
いつもみずみずしい果実のような潤いを持って、これから初めて触れるもの、初めて掴むものへの期待が満ち満ちている。
幼いゲンやアプコの手は、ぷくぷくと柔らかく、触れるものを優しく包む。
子どもらの手に触れると、冬の風の中を自転車で走ってきた冷たさや、ホットミルクのマグカップを大事にくるむように抱えていたぬくもりが、ダイレクトにこちらに伝わってくる。
私にもこんな屈託のない潤いにみちた手をしていた時代があったのだろうなと、寂しく思う。

けれどまた、今年で100才になるひいばあちゃんの手も美しい。
節くれ立って青く血管が浮き、曲がった爪は黒く大きい。
それでも、長年コツコツと職人仕事に埋もれてきた100年の年輪が穏やかに刻まれている。
誰にも真似の出来ない、誇りにみちた美しい手だ。
階段や車の昇降に手を貸す、そんな時にふっと触れ合うひいばあちゃんの手は冷たくて小さいけれど、がっしりと力強く私の手を掴む。
私も将来、もっともっと年をとったら、こんな手の人になりたいとそのたびに思うのだ。

じっと手を見る。
今日もまた。




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