月の輪通信 日々の想い
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2007年01月07日(日) 個室

自室でイヤホンで音楽を聞きながらハンバーガーを食べる青年。
その手元からポタリとケチャップが落ちた瞬間、背景が電車の中に変わって、ひとごみの中、青年は平然とハンバーガーを頬張り続ける。
そんなCMがTVで流れている。

電車の中でのヘッドホンステレオが何故いけないのか、長いこと判らなかった。
確かにシャカシャカ耳障りな音はするけど、普通の会話よりは小さな音だし、狭い座席に足を広げて座る人や大きく開いた新聞を読む人ほど物理的に邪魔になるわけでもない。なのに、なぜあのシャカシャカ音が妙に癇に障るのだろうか。

工房で、いつも寡黙に自分の仕事をコツコツこなす従業員のHくん。
彼は仕事場に入るとまず自分用のCDラジカセのスイッチを入れる。流れてくるのはFMの音楽番組だったり、自分で持ち込んだCDの音楽だったり。
私自身受験生時代には、ラジオの深夜放送を聴きながら学んだ世代だから、音楽を聴きながら仕事をする習慣そのものはそれほど嫌いではないはずだ。父さんと私とHくん、3人が同じ仕事場でそれぞれに別々の作業に没頭し、一言も言葉を交わさない何時間か。その沈黙の気まずさを埋めるために、軽い音楽が流れているのも悪くない。
なのに、時々、H君が流す音楽が妙に癇に障ることがある。
特にそれが彼の好みの、そして私の好みではないレゲエの明るい音楽であるときには。

オニイが最近、ロックに目覚めたらしい。
借りてきたCDの音楽を居間の共用パソコンに落として、ネットをしながらイヤホンをつけて聴いている。気分の乗ったときには、イヤホンの音楽にあわせて小声でぼそぼそシャウトしている。
周りでTVを見ている家族には、イヤホンの中身は聞こえないので、アカペラでシャウトするオニイのぼそぼそだけが耳に入る。
最初は「ほほう、オニイもちょっと渋いのを聴くようになったんだな」と笑ってみていたんだけれど、だんだんそれも不快に感じることが多くなってきた。
大きな声でキャアキャアはしゃぐアプコや、肩までコタツにもぐりこんでのうのうとかさばるゲンに比べれば、オニイのぼそぼそシャウトなんて別に何の邪魔にもならないんだけど、それでもなんだか癇に障る。
何でだろう。

そんなことを考えていた。

実家からの帰りの車中。
後部座席からオニイがちょっと遠慮がちに差し出したCD。
「ナビ、使わないんだったら、CD聴いてもいいかな。」
かけてみると、中身はオニイが最近ヘビーローテーションで聴いているロックミュージック。
あ、嫌だなと思ってすぐにスイッチを切った。

電車の中で聞こえるヘッドホンのシャカシャカ音が嫌なのも、仕事場で聴くH君のレゲエミュージックが嫌なのも、オニイのぼそぼそシャウトが癇に障るのも、根っこおんなじなんだなぁと言うことにようやく気がついた。
自分の近くにいる人の好みや気分を推し量ることなく自分の周囲を好みの音楽で満たすことは、そこにいる他の人の存在を無視して勝手に自分の個室にこもること。
公共の場であろうが団欒の場であろうが、どこでもお構い無しに居心地のいい自分だけのシェルターを作る。
その身勝手さが癇に障るのだ。

そんなことをあれこれ説明して、オニイにCDを返した。
君の好きな音楽は、君一人で聴け。
みんなで一緒に聞くときには、みんながいいと思う音楽か、少なくとも誰もが不快だとは思わない曲を聴こう。
同じ空間にいる自分以外の人のことも、ちゃんと意識してすごそう。
これから大人になる君には、それもとても大事なこと。

そういえば、超小型のヘッドホンオーディオ、携帯電話、携帯ゲーム機。
若者たちが欲しがるのは、どこでも簡単に自分だけの空間に没頭することのできるお手軽な機械ばかり。
いつでもどこでも快適に過ごせる自分だけの個室を持ち運ぶことのできる自由。周囲からの干渉に耳をふさいで自分の世界にこもることを心地よいと感じる気質が、若者たちのコミュニケーション下手につながっているのかもしれない。

お正月、実家で過ごした数日間。
弟たち家族と一緒に、久々に父の厳しいお説教を喰らった。
4つの家族が久しぶりに集う食卓。
身内ばかりの水入らず空間ではあるけれど、周囲の人の状況を常に意識して、必要な気配りを忘れてはいけない。
子どもの頃から何度も何度も叱られて、叩き込まれた家族のルール。
それぞれに家族を持ち、子の親となって帰ってきた私たち兄弟に、父は久々に大きな雷を落として、忘れかけていたルールを思い出させてくれた。

結婚前には、そのあまりの窮屈さに「早く独立して抜け出したい」と思うこともしばしばあった父の言葉を、気がつけば今、自分の子どもたちに語っている不思議。
嫌だ嫌だと思っていた父のルールが、知らぬ間にわが血肉に深くついているということに気づく嬉しさ。
そして、ともすれば慣れ合って緊張感を失ってしまいがちになる日常を、「それでいいのか」と叱ってくれる人のいる有難さ。
そんなことを思う正月を過ごした。




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