月の輪通信 日々の想い
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最終日まで工房でお仕事三昧。 大掃除もお正月準備もずれ込んだ年賀状印刷も子どもらに委ねた。 我が家の年明けは君らの働きにかかっている。 頼んだぞ。
正月早々の百貨店での即売会の荷造りと釉薬掛け。 ぎりぎりいっぱいの攻防が続く。 数物の銘々皿の裏の白絵掛け。 布目を刻んだ素焼きの栗茶の生地に白絵土をさっとかけ、濡れタオルでゴシゴシかけたばかりの白絵土をぬぐう。乾燥にかけてから透明の釉薬を重ねて掛ける。 焼きあがると、栗茶に白の布目模様がくっきりと浮かび上がる。 釉薬掛け見習い中の私に任される数少ない職人仕事の一つだ。
私が白絵掛けの作業をするのはこれまで長いあいだひいばあちゃんの作業場だった乾燥室前の小さなスペース。 来年の誕生日で100歳をむかえるひいばあちゃん。ほんの少し前までひいばあちゃんはこの席で釉薬掛けや作品の下地作りの作業をばりばりこなす現役の戦力だった。さすがに最近は工房へ下りてこられることはぐっと減って、代りに見習いパートタイマーの私がひいばあちゃんの作業台に間借りすることが増えた。 それでも何ヶ月かに一度、ひいばあちゃんが思い出したようにふらりと工房に下りてきて、まるでつい昨日やりかけた仕事の続きをするかのようにこの場所にお座りになることがある。 そんなときのために、ひいばあちゃんの長年愛用の煤けた前掛けはいつも畳んで作業台の前に置いてある。 長年ひいばあちゃんが一人でコツコツ行ってきた白絵掛けの仕事を、私が代りに任されるようになって一年余り。少しは要領も良くなって、調子のいい釉薬の粘り加減も、透明釉の下塗りの刷毛さばきもいくらか覚えた。 それでも、ひいばあちゃんの前掛けがここにおいてある限り、まだまだ私はこの場所の間借り人。 少女のころから職人仕事にうもれてきたひいばあちゃんの偉業をまえに、落ち着かない見習い職人の私は、半分前のめりに腰を浮かせつつ釉薬掛けを行う。
丸い銘々皿の裏面と表側のふち数ミリの部分に透明釉を刷毛で塗る。 真っ白で練乳のようにぽってりした釉薬をたっぷりと刷毛に含ませて、素焼きの生地の上に塗る。 「塗るのではなく、置くように。手早く、むらなく。」 父さんから何度も教えられて、少しづつ覚えた釉薬掛け。 最近になってようやく、左手の指先でくるくる生地を回しながら、同時に刷毛を手早く走らせるコツがなんとなく判りかけてきた。 お皿のふち塗りは、息を詰めて出来るだけ長いストロークで。 ギコギコ躊躇しながら塗ると一箇所に釉薬が溜まったりはみ出したりして仕上がりの見栄えが悪い。 刷毛に十分な釉薬を含ませて、出来るだけ手早く円を描く。 ずいぶん上達したとは思うのだけれどやっぱり途中で息継ぎが2回。つまり全円を3回のストロークでようよう描く。 ひいばあちゃんは現役時代、これよりもっと大きなお皿のふちでも、さっと一息のストロークで鮮やかにほぼ全円を描くことが出来たのだという。
養護学校に勤めていた頃、美術の時間に絵を描かせていて、先輩の先生から聞いたこと。 幼児のなぐり描きは最初は点や短い直線。それに肘の動きが加わると長い弓形やぐるぐる描きができるようになり、手首を上手に使えるようになるときれいな丸が描けるようになっていくのだという。 手首を使って上手に閉じた丸を描けるようになるのが、通常の発達段階で言えばちょうど3歳児の頃。 そのころ教えていた子どもたちは、年齢的には中学生だけれど、知的な発達は1,2歳児からせいぜい小学校低学年程度。「絵を描く」といっても、教師が手をそえてぐるぐる描きするのがやっとの子どももたくさんいた。 そんな子どもたちにクレヨンを持たせて、毎日毎日「お絵かき」を楽しんでいたが、ある日、いつもぐるぐる描きに終始していた男の子が偶然きれいに閉じた丸を描いた。 「やったね、M君、ようやく3歳児の壁を越えた。」 と先輩先生は手を叩いて喜んだ。 知的な障害があり、傍目には体ばかりが大きくなって知的にはあかちゃんのまま成長が止まっているように見えていた障害児のM君。 そんなMくんにも、ゆっくりながらも確かな成長の瞬間がある。 その発達の証が、Mくんが初めて描いた、きれいな閉じた丸。 先輩先生はM君が描いた大きな丸の画用紙を、きちんと畳んで連絡帳にはさんでおうちの方に届けられた。Mくんの成長を喜ぶお手紙をつけて。
閑話休題 今回注文のあった銘々皿は合計100枚。 同じ円を100枚分描いても、なかなか新米見習い職人の円は閉じない。 100歳の熟練職人の見事なふち塗りのテクニックを、ちゃんと習っておけなかったことを心から残念に思う。 ひいばあちゃんの席に居心地悪く居候しながら、いったい何枚のお皿を塗れば及第点の釉薬掛けができるようになるのだろう。。 そんなことを思いながら、一年の終わりに繰り返し繰り返し、円を描いた。
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