月の輪通信 日々の想い
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2006年11月27日(月)

うっとおしい天気が続く。
洗濯物がちっとも乾かないまま、どんどん部屋干し生乾きの山が増えていく。あちこちの鴨居やカーテンレールに懸けられたジーンズは大小取り混ぜて10本あまり。まるで回転の悪い古着屋の様相。
近所のKちゃん母は耐えかねて、最近近所に出来たコインランドリーに行ってきたという。やはり乾燥機が大混雑だったとか。
神様、サンシャイン、プリーズ。

一ヶ月ほど前から近所に野良猫が出没するようになった。
虎縞の愛嬌のある顔をしたヤツ。雌猫なんだそうだ。
尻尾の先がクイッっと二つ折りになっていて、きれいなブルーアイ。
人懐っこくて誰にでも擦り寄って行くので、アプコが夢中になっている。
「居ついたら困るから餌はやっちゃダメよ」ときつくいってあるのだが、それでもうちの界隈が気に入ったらしく、居座っているようだ。

この猫、最初はえんりょがちに軒下で雨宿りしたりしていたのだが、最近ではだんだん態度がでかくなってきた。まるで古くからの家猫のような顔をして、門灯の上で昼寝したり車のボンネットの上であくびをしたりしている。ガレージに車を入れようとすると、駐車スペースの真ん中で日向ぼっこしていて、「何?退くの?」とでも言わんばかりの不満げな顔でゆっくり背伸びをしておもむろに重い腰を上げる。しっしっとやってもなかなか退いてくれない。

昨日は玄関の金木犀の木の枝に猫が登った。
この木は夜になるといつもムクドリがねぐらにしている木だ。どうやらそのムクドリを狙っているらしい。
細い金木犀の梢にミシミシ音を立てながらもぐりこみ、狩りの構え。
バサバサッと音がして、ねぐらに帰ったばかりの鳥たちが慌てて夕闇に飛び立っていった。
やだな。
「ふみゃー」と媚びるような声で擦り寄ってくる猫が、なんとなくうっとおしく思えるようになって来た。

つくづく私は犬派だなぁと思う。
つい最近までアプコと一緒になって猫に構っていたアユコも私と同じ口らしく「この猫、だんだん厚かましくなってきたみたい。」と、言いに来た。
気まぐれな猫の同じ仕草が、猫派のアプコやオニイには「うーっ、かわいい!」と感じられ、犬派の私やアユコには「うっとおしー!」と感じられるのが不思議なところ。
あ〜あ、あの猫、知らないうちに、どっか、行かないかな。

朝、いつも近所をウォーキングにこられるご婦人とおしゃべりしていたら、件の猫がすりすりと寄ってきて、ご婦人の足元に甘えるように体を摺り寄せた。
「まぁ、人懐っこい猫ねぇ。野良さんなのに・・・」
とご婦人は目を細められた。
「ちょっと人懐っこすぎるくらいなんですよ。すっかり居ついてしまって、ちょっと油断すると家の中まで入ってこようとするんですよ。」
と笑っていたら、
「あらそう、こんな小さい動物でも人に甘えて生きていく術を知っているのねぇ」と感心された。
「餌を貰うためにはこんな風に懐っこく擦り寄っていくのがいいと知ってるんやねえ。こんな小さい者でも、ちゃんとうまく立ち回って生きていく方法を身につけているのにね。
近頃、子どもたちに間ではいじめだの自殺だの、いろいろあるけど、今の子ども達もこんな風に上手に身を摺り寄せて生きていくことが上手になればいいのにねぇ。」
と、しみじみといわれた。

いじめられる子に「もっと上手に立ち回って生きればいいのに」といっておられるように聞こえて、なんだかなぁ・・・とも、思ったけれど、ご婦人の真意がどこにあるかは、はかりかねた。
聞けば、その方も、昔、お身内の子どもが友達にいじめられた経験がおありだという。
「今はなんでもなく、元気に過ごしていますけどね。」
その子はどんな風にしていじめの経験を克服されたのだろう。
朝の短い立ち話では、そんな立ち入ったところまで突き詰めてお話しすることも出来なかった。
「ほんとにねぇ。」とあいまいな相槌を打ちながら、なんとなく消化不良なままお話を終えて、さよならをした。

今日も猫は陽だまりに停めた我が家の愛車トッポのボンネットの上にだらりと寝そべって、まるで家猫のような貫禄でふわぁっとあくびをしたりしている。
いつのまにか自分の居場所をそこと決めて、のうのうと生き延びる野良猫の厚かましさも、強く生きるためのたくましい知恵なのかもしれないなぁと思いつつ、手箒でしっしっと猫を追う。
このまま、居ついてもらっても困るのだよ、猫君。


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