月の輪通信 日々の想い
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2006年11月24日(金) 印落ち

ここ数日の急な冷え込みで、あっという間に落葉が進んだ。
工房の玄関の傍のもみじが瞬く間に赤くなって、わっと散った。
「今年はいつまでたっても寒くならないから、ちっとも紅葉しないね」なんて言っていたのに、あっという間に冬の樹木の形がくっきりと現れた。
毎年恒例の工房の庭での焼き芋大会も、例年通り12月最初のお休みに開けそうだ。

父さんの工房仕事がどんどん差し迫ってきた。
毎年の干支の仕事に加えて、年明け早々の個展の仕事、春に決まった襲名展の準備・・・。次から次へと押し寄せる仕事の山にアップアップしながら、振り絞るような形相で工房へ出かけていく。
今年はいつもの年末態勢に入るのがずいぶん早い。まだ11月だと言うのに。
少し休んで欲しい。
でなければ、ほんのひと時でも息抜きをと思うのだけれど。

乾燥機の熱でほんわか暖かい工房で父さんが干支の置物の釉薬掛けをしていた。そのすぐ横に作業椅子を引っ張ってきて、作業を手伝う。
濃い釉薬をかけるまえに薄く水で溶いた釉薬(水ぐすり)を下塗りする作業。
不器用な私の手でも手伝える数少ない仕事だ。
台座の上でクイッと鼻を上げた若いイノシシ。素焼きの生地に薄めた飴釉の水ぐすりを塗るとなんとなくピンクの豚さんに見える。
ぶひっ、ぶひっと鳴きまねをして、父さんと笑う。

「あれっ!あ〜っ、しまった」
と突然父さんがうめく。
「・・・・印落ちや。」
作品の裏には、素焼き前の生の状態で作家の名前の印を刻む。
印落ちはその作家印の押されていない作品のこと。
たくさん作品の削り仕事をしているうちに、ふとした拍子に印を押さずに素焼きに回してしまったらしい。一旦素焼きしてしまった作品に、今から印を刻むのは不可能だ。
そして印無しでは残念ながら、売り物にはならない。

ごくごくたまにしか起こらない珍しい失敗。
ところが、今年の干支ではもう印落ちの失敗が2件目。
きっと疲れているんだな。普通なら遅くとも窯詰めの前には気がついて、修正して焼くことが出来るはずなのに。この失敗で売り物にならない作品になると言うことは、型抜きをしてくれた職人のH君の労働も夜中に削りや仕上げをかけた父さんの手間もぜんぶ無駄になると言うことだ。
自分でもそのことがわかるだけに、父さんはうなだれて悔しそうに印のない台座を何度もなでる。

「こんなにたくさん仕事をしているんだもの、そんな失敗もたまにはあるよ。印落ちでも焼き上げておけば、進物用か、うちでの陳列用にでも使えるんじゃない?」と思いつく限りの慰めを並べてみる。
すると、少し気を取り直した父さんが面白い話を教えてくれた。

陶器の作家が作品の裏に印を押すようになったのは、茶陶としての陶器が生まれてからのこと。それまでは陶器を作るのは職人の仕事であって、作家として名前を表に出すことはなかったのだそうだ。
また、上絵の美しい磁器の作品などには、書き印といって釉薬で書いた印が見られるが、それは上絵を書いた人の印。その生地を作るのは生地師といわれる職人さんだから、やはり表立って名前を刻むことはしないのだと言う。

それから、もう一つ。
むかし殿様などへの献上品には、作家の印は押さないのが一般的だったのだという。作品の目立たぬ場所に押された小さな印と言えども、「わたくしが作りました。」という自己表明でもある作家印。だから偉い方への献上品には、へりくだる気持ちを込めて、あえて印は押さずにさしあげたのだそうだ。

「それなら、この印落ちイノシシも、思いっきり偉い方への献上品につかったらいいんじゃないの?」
いろいろ話しているうちに、そんなジョークも言える位に父さんのご機嫌も治ってきた。
「そっか、献上品なぁ・・・。ま、そうも行かんけど、とりあえず最後まで焼いてみるか。」
父さんは再び手にしたイノシシに釉薬掛けをやりはじめた。
印落ちイノシシ君、危うく命拾い。

もうすぐ毎年恒例、小学校での5年生の陶芸教室が始まる。
子どもたちが苦心して作った作品の裏には、生の生地の状態で必ず自分のサインを彫りこむ。
「世界でたった一つの作品だからね、しっかり思いを込めて自分の名前を刻んでね。」と、子どもたちに言う。
作品裏の印は、作家の自己表明。
だからこそ父さんは印落ちの失敗が許せないのだろう。

もしかして、今回進物品として印落ちイノシシが届くお宅がありましたら、それは自分をへりくだって謹んで献上申し上げる、そんな気持ちの表れとご容赦下さいますように。
ひらにひらに、お願い申し上げます。


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