月の輪通信 日々の想い
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2006年11月06日(月) |
ハッピーアイスクリーム |
朝、子どもたちを送り出してから、居間の机で土仕事。 今年も干支の内職仕事が回ってきた。 手の平大の石膏型にギュウギュウ粘土を詰めて、香合(小さな蓋物)の型を抜く。これを少し乾燥させてから父さんが仕上げをかけて焼き上げるのだ。 型抜きは従業員のHくんの仕事だが、年末仕事が立て込んでくると父さんのお持ち帰りの仕事となり、やがて臨時要員である私の内職になる。毎年の恒例。
来年の干支はイノシシ。 父さんはかわいいうり坊のデザインの香合を作った。 ぶひっと上を向いた鼻がキュートだけれど、型抜きの時にはその鼻の部分にきっちり粘土を詰めるのが難しい。で、鼻先が少しでも欠けてるとなんとなく豚っぽく見えてしまうから厄介だ。 う〜ん、久々の型抜き。 勘を取り戻すには少し時間がかかりそうだ。
夕方、台所仕事をしていたら、早く帰っていたアユコがちょろちょろ傍へやってきて、○○がこんな面白いことを言ったとか、○○の授業がうるさくてぜんぜん判らなかったとか、ぴーちくぱーちくお喋りがとまらない。 今週末、アユコの学校では合唱コンクールが行われる。全校生が参加するクラス対抗の合唱祭。学業はともかく体育祭や宿泊学習などイベントのときの団結力は学校随一と言われるアユコのクラスでは、2年生ながらも全校優勝を目標にしてガンガン盛り上がっているらしい。 毎日のように学校に残って練習や準備にのめりこむアユコは、学校での高揚した気分をそのまま家に持ち帰ってくるので、家の中では場違いなハイテンションを自分でもコントロールしかねて、ついつい饒舌になるのだろう。 なんでもないことにコロコロ笑い出して、「きゃあ、アタシっておかしい。笑いがとまらなぁい!」と、騒ぐアユコ。 「箸がこけても・・・」のお年頃だ。
近頃、アユコと一緒にいて、あれっと思うことが多くなった。 たとえば、煮あがったばかりの煮物を鉢に移そうとお鍋を持ち上げたとき、すっとアユコが鍋敷きを置いてくれたりとか、テレビのチャンネルをかえようと立ち上がったらすぐ横にいたアユコがリモコンでパシッとかえてくれたりとか、そういう些細なこと。 「よく気が利く」とか、そういうんじゃなくて、たまたま私が思っていることとアユコの思っていることが一致していて、偶然行為が重なったと言う感じ。 多分、もともとわたしとアユコは物事の段取りとか思考の成り行きがよく似通っているのだろう。長年親子をやっていれば、その行動形式や思考が似てくるのは当たり前のことだけど、最近になってそのことを自覚できる瞬間が急に増えてきて、「あ、また、かぶっちゃった。」と偶然の一致を数えては可笑しくなる。
たとえば、冷蔵庫に中途半端に一個だけ残ったチョコレート。 「え〜い、内緒で食べちゃえ」と思ったら、いつの間にかアユコが横にいて、「あ、いいな。」と言う。 片足だけ裏返しで洗濯機にかかって来たオニイのジーンズ、表返しにするのが面倒だなと思った瞬間、「両方裏返しにして干しちゃえ!」とすかさずアユコがささやく。 そういう些細な一致が、不思議で楽しい。
昔、「ハッピーアイスクリーム」というたわいもない遊びが流行ったことがある。 二人の人が偶然同じタイミングで同じことばを言ったら、すかさず「ハッピーアイスクリーム!」という。先に言ったほうが勝ちで、負けた人は勝った人にアイスクリームを奢らなければならない。 実際にそれでアイスクリームを奢ったとかご馳走してもらったと言う記憶はないけれど、仲良しの友達と「ハッピーアイスクリーム!」と言い合ってケラケラ笑った楽しい思い出は鮮明に残っている。 あれはちょうどわたしがアユコくらいの年齢の頃だったのではないだろうか。
近頃のアユコとの偶然の一致は、さしづめ「ハッピーアイスクリーム」の行動版。何が面白いではないけれど、たまたま何気なく思ったことやしたことが、誰かのそれとぴったり一致すると言うことの可笑しさは、ちょっと幸せでなかなかいいものだ。 アユコにこの遊びのことを話したら、しばらく家の中で「ハッピーアイスクリーム」の遊びが流行った。 「外は寒くなっってきたけれど、あったかい部屋で食べるアイスもいいなぁ。」とアユコが言う。 アユコが一番好きなのは、カップに入ったプレーンなバニラアイス。 アイスの好みも母と娘できっちり一致している。 まさに、ハッピーアイスクリーム。
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