月の輪通信 日々の想い
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2006年08月15日(火) 訃報

朝、飛び込んできた訃報。
子どもたちの小学校の2代前の校長先生Y先生。
ちょうど父さんがPTAの会長を務めていたときの校長先生で、親子ともどもでお世話になった方。子どもたちをとても穏やかに見守ってくださる素晴らしい先生だった。
いろいろな行事や参観懇談などの折には、子どもたちばかりでなく私たち保護者にも、子育ての知恵や親としての心得をユーモアたっぷりに語ってくださる人格者だった。

在職中に癌が発見されて、定年まで数年を残して校長の職を辞された。その後数年、教育関係のお仕事をなさりながら闘病しておられた。
ご退職になられたあとも、父さんは会長OB会などで何度かY先生にお会いしていて、この5月にも自宅で療養生活をおられるY先生から、「一度おしゃべりにいらっしゃい。」とのお葉書を頂いたばかりだった。

すでに病気の悪化は伺っていただけに、なぜすぐに会いに伺わなかったかと父さんはとても悔やんでいる。
「その時」を逃せば、2度とお会いできなくなってしまう人もある。
そのことを今までなんどか経験して激しく悔やんだこともあったのに、また、心残りを残したままお別れしてしまった。

故人の生前の希望で、「葬儀は身内だけで」と誰にも葬儀の行われる教会の所在地を誰にもお知らせにならなかった。
数日後、そのY先生のお名前で今日、天国からのお手紙が届いた。
病状が窮ってきた頃、ご自身が書かれて、死後の投函をご家族依頼しておられたのだという。
ご自身の生い立ちから、お仕事、家族への想い、病を得てからの心境の変化など、A4紙4枚にぎっしり綴られていた。

お見事。
自分のいなくなった後のことをしっかりプロデュースして、残されたものに深い感銘を残して逝かれたY先生。
見事すぎ。
手紙を読んだ父さんも、しばらく言葉が出なかった。
「すごいなぁ」「見事だなぁ。」
父さんは何度も何度もつぶやいた。

自分の命の限界を知らされたとき、
あれもこれもやりたい仕事や生活を道半ばであきらめなければならないと知らされたとき、
そんなに整然と自分の人生の仕舞いをつけて、逝く事が出来るものなのだろうか。
Y先生の逝きかたは、穏やかで誠実な教育者であったY先生の生き方そのもの。見送る者に、たくさんの教えと静かな感動を遺して旅立っていかれた。

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だけど、だけど・・・。
こんなに潔く、美しく散ってくれなくてもいい。
最後の最後まで執着して、オロオロして、ジタバタして、しっちゃかめっちゃかで逝ってくれてもいいと私は思う。
大切な人を見送るとき、あまりに整然と潔く逝ってしまわれたら、それはそれで遺されたものには寂しいような・・・。


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