月の輪通信 日々の想い
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2006年07月21日(金) 救急車

さぁ、夏休み初日。
といっても、またお天気悪そうだなぁと外の雨の音を聞きながらPCに向かっていた。連日の雨で裏の川の流れる音が高い。家の中は乾ききらない洗濯物でいっぱいだ。
今日は小学校の陶芸教室。父さんの助手として出勤予定。
あと、生協荷受、ゴミだし、夜剣道。
忙しくなりそうだなぁと雨戸を開けていたら、電話が鳴った。
義父の声。
義母がうめき声をあげて苦しがっているという。
飛び起きた父さんが、駆けつけて救急車を呼んだ。
私も急いで着替えて、出動。義母に付き添って救急車に乗った。
幸い、病院で応急措置をしてもらってまもなく小康を得た。
心不全だということでそのまま入院が決まった。

救急車に乗るのは、これでもう何度目だろう。
年寄りを3人も抱えていると、救急車のお世話になる機会も当然多くなる。
ここ数年でもう3回。義父のときもひいばあちゃんのときも私が救急車に同乗した。
付き添うといっても何が出来るというわけでもない。
既往症やかかりつけの医師、発症の状況などを救急隊員に告げて、あとは、ただただ、患者の手足をさすって「大丈夫?がんばって。」と声をかけるのみ。
救急車への同乗がいつのまにか私の役目となったのは、「こういうときには女手のほうががいるだろう」ということと、救急車のあとを追いかけて見知らぬ病院へ車で駆けつける運転能力と土地勘が私にはないという理由。

10年前、亡くなった次女の転院のとき、はじめて救急車の前の席に乗った。
一度も信号で止まることなく、バンバン車線変更して猛スピードで一般車の間をすり抜けていく救急車は本当に怖かった。それからしばらくトラウマになって、ピーポーピーポーという救急車のサイレンの音が聞こえると急に胸がドキドキして、落ち着かない気持ちになったものだった。
時が過ぎ、なんどかお役目を果たすうちに、次女のときの救急車のトラウマはいつの間にか消えているに気がついた。

度重なる救急車体験で、ずいぶん知恵がついた。
救急車に乗り込む前にしなければならないこと。
・搬送先の病院名を家に残る者に必ず告げておいてもらうこと。
・子どもたちに留守中の食事や予定の確認をしておくこと。
・自宅と義父母宅、両方に留守番、連絡係を手配しておくこと。
必ずバッグに入れなければならないもの。
・財布。携帯電話と10円玉。
・保険証。老人医療証。常用している薬の袋。
・本人の靴とめがね、寒いときなら余分の上着。
最後の項目などは何度か失敗したあと、ようやく学習した体験に基づく知恵。くだらないことだが、緊急の時にはなかなかそこまで頭が回らなくねるので、書き留めておく。

幸い、義父のときもひいばあちゃんのときも「大事に至らなくてよかったね。」で済んだ。今回の義母の症状も次第に落ち着き、緊急入院時のドタバタを一緒に笑えるくらいに快復しつつある。
年寄り3人の暮らしに添って過ごすということは、こういうことの繰り返しなのだろうなぁと思う。


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