月の輪通信 日々の想い
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父さん、新しい個展の締め切り間際。 滑り込みの本焼きの窯の合間に、額屋へ出かけたりDMを配りに出たり。 いつものことだけれど、最後の最後まで粘る、粘る。 この間の5人展からまだそれほど日も経っていないのに、新しい作品に次から次へと手を出して、 「時間が足りない!新しいアイデアがどんどん沸いてくるのに、それを形にする時間が足りないんや!」と釉薬や埃でくたくたになった髪をくしゃくしゃ掻き揚げながらこぼしている。 父さんの場合、アイデアの神様はいつも締め切り前ぎりぎりの数日前に突然降りてくるらしい。 出品リストができ始め、額装の手配や荷造りの準備であわただしくなる頃になってようやく、「もっと作りたい!」「もう一回、試したい!」が怒涛のように沸き起こるらしく、七転八倒しながら搬入日を迎える。
「アイデアって言うのは、なんか違うこと考えてるときとかに、いきなりボワッと浮かんでくるものやからな。」 とわかった風なことをいって父さんを慰めるのはゲン。 確かにゲン自身の発想の面白さは、なんでもないところから突然沸いて出たかのような意外性の賜物。「いきなりボワッと」は彼自身の実感なのだろう。
「とりあえず間に合わなかったアイデアは次の個展のときのために置いておいたら?」 子どもの駄々っ子を諭すように、理屈のとおった提案で父さんの嘆きに応えるのはアユコ。何事にもきっちり事前に計画を立てて、決して無理をしない変わりに大きな失敗もしない。かっちり几帳面なアユコには父さんの気まぐれな芸術家魂は理解できない。
「ねぇねぇ、おとうさん。あたしね、こういうの作るときれいやなぁと思うの」 父さんの焦りやイライラを介さずに、あっけらかんと自分で考えた新しい作品のアイデアを父さんに提案するアプコ。 オイオイ、場を読め、アプコ。
「まぁ、ありがたいことやね。 『アイデアが枯れて、次の創作意欲も沸いてこない』なんてのより、ずっと贅沢の悩みじゃないの。」 私はいつものように、父さんのくしゃくしゃになった髪を撫で付けて言う。 「あーだこーだといいながら、結局父さんは最後の最後でちゃんと間に合わせることができる人なんだから。 大丈夫、大丈夫。 たくさん働いて、偉い、偉い」
もう十分に走りきって、これ以上頑張りようもないのに、あと一歩、あともうちょっとに手が届かないもどかしさ。 個展のたび、毎度毎度やってくる締め切り前の父さんのジレンマ。 これといって手を貸すこともできず、よしよしと父さんの頭をなでる妻。 進歩のない夫婦だなぁ。
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