月の輪通信 日々の想い
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風呂上りのほかほか湯気のあがるアプコを捕まえて爪を切る。 何故だかアプコは爪が伸びるのが特別早い気がする。 ちょっと油断をすると、桜色の薄い爪がにゅっと伸びて「鬼の爪!」になってしまう。 毎月一度の体重測定の日には、保健室の先生が爪のチェックもなさるのだけれど、「アプコちゃん、爪切っておいで。」と指摘されることもしばしば。 ありゃりゃ、ごめんごめんと慌てて爪切りを探すことになる。
ちょっと前まで‥‥、そう、上の3人の子どもたちがまだ幼い頃には、それこそ2日にいっぺんは誰かの爪を切ってやっていたような気がする。 テレビの前にどっかと座り、丸いゴミ箱を抱え込んで、「ちょっとおいで」と手近な子どもを引っ張ってきて、パチンパチンと爪を切る。 つい2,3日前、誰の爪を切ったんだか判らなくなって、「あ、アユコじゃなかった。じゃあ、オニイかな。」と交代したり、片方の手の爪を切ったところで誰かに呼ばれて、もう片方の爪を切り忘れたままになってしまったり、取り合えず毎日のように誰かの爪を切っていたように思う。 あの頃、オニイやアユコの爪もまだ薄く小さくて、赤ちゃん用の小さな爪きりでも十分切れそうな儚さだった。そして、子どもたちの手も小さくて、ぎゅっと握ると私の手の中にすっぽりと納まる暖かい手だった。
いつの間にか、子どもたちは自分で自分の爪を切るようになり、オニイやアユコの手をぎゅっと掴んで爪を切ってやることはなくなった。時々ゲンがアプコに便乗して「ついでに僕のも切って」とにゅっと手を出すこともあるけれど、がっちり大きくなったゲンの手はもう私のちんまりした手の中には納まり切らない。幼児の手の心地よい丸さはなくなり、ごつごつといかつい指は少年らしい楽しみをたくさん知っているたくましい手になった。
母として、始終チェックして短く爪を切ってやらなければならない手はたった一人分になったというのに、なんでアプコの爪はしょっちゅう切り忘れるのだろう。この辺がやはり、末っ子育児のいい加減さの表れだろうか。それとも本当にアプコの爪の伸びるスピードが、他の兄弟たちより格別早いのだろうか。 おまけに、アプコの爪の先はいつ見ても黒い。 寸暇を惜しむように遊び戯れるアプコの爪の先には、なんだか知れない黒い汚れがいくら洗ってもしょっちゅう挟まっていたりする。
「お母さん、なんで、爪の間に黒いの溜まるのかなぁ」 短く切りそろえたばかりの爪の先をしげしげ眺めながら、アプコは小首をかしげて私に訊く。 「さぁねぇ、たっぷり遊んでくるせいかしらんねぇ? それとも、汗を掻く季節になって、アトピーさんをぽりぽり掻くせいかしらんねぇ?」 アプコの問いを笑ってはぐらかしながら、私はアプコの黒い爪がいとおしくてならない。それは毎日泥んこ遊びやおままごとなどの外遊びを楽しみ、工作やお絵かきに熱中する子どもらしい時間をたっぷり味わって日々をすごしていることの証。 こんな風に幼い手をぎゅっと掴んで爪を切ってやることも、いつ見ても黒く汚れた爪先を見ることも、あと数年で終わりになるだろう。 それは我が家の子育てのステージが、また一つ幕を下ろして新しい場面に移ると言うこと。
この間、居間で思いがけず堅い棘を踏んだ。 おそらくは子どもたちのうちの誰かが飛ばした爪切りの爪。 すっかり大人の爪の堅さで、私の足の裏にささやかな痛みをもたらした白い三日月はオニイの足の爪だったのだろうか。 日ごとに青年らしい気難しさを増していくオニイの堅い爪もまた、アプコの薄い爪と同様、いとおしい。
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