月の輪通信 日々の想い
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ようやく工房の玄関のところの交野桜が満開になった。 「交野桜」は新古今に詠まれた桜の品種。 またや見ん 交野の御野のさくら狩 花の雪散る春のあけぼの ソメイヨシノより開花は遅くて、我が家の交野桜に限って言えば花の数もびっしり満開という感じにはならないのだけれど、新緑の中ではらはら散る様のほうが美しい。 義父は工房設立当時からここに自生していたこの桜の木をことさら大切にしていて、枝を払ったり開花後の花がら掃除を面倒がったりすると決まって機嫌が悪くなる。VIP待遇の桜なのだ。
夕方、父さんがゲンとアプコを引き連れて、庭にこいのぼりを上げた。 今年は展覧会や茶会の準備などの忙しさに追われて、毎年のこいのぼり揚げがずいぶん遅まきになってしまった。いつも車を止めている庭の真ん中にくいを打ち、組み立て式の金属のポールを立てる。これがなかなかの重労働。昔は大人総出の作業だったけれど、最近はこの手伝い役をようやく子どもたちつとめられるようになった。
このこいのぼりはオニイが生まれたとき実家の両親に買っていただいたもの。「鎧兜は五月人形はいらないから、その分大きなこいのぼりを下さい。」とお願いして選んでもらった。 ハイキングコースからも良く見える工房の庭に、大きな真新しいこいのぼりを掲げ、初めての男の内孫誕生を誇らしく祝ってくださった義父母やひいばあちゃん。 子どもたちは成長して、もうこいのぼりを揚げても手を叩いて喜ぶのはアプコくらいのものになったが、「さあ今年も鯉のぼりを上げてやらねば」とそわそわしはじめるのはおじいちゃん、おばあちゃんのほうだ。 有難いことだなぁと思う。
鯉のぼりを庭に上げ始めて15年。 子どもたちも大きく成長したが、山の樹木もずいぶん大きくなった。 庭を囲む山の木々も年々枝を伸ばし、大きな剪定もしないのでどんどん庭から見える青空の範囲も狭くなった。 今年父さんはずいぶん考えて鯉のぼりのポールを立てる場所を決めたのだが、それでも木々に邪魔されて鯉のぼりが泳ぐ空が無い。ちょっと風が吹いても鯉の尾っぽは梢に絡まり、吹流しはもつれ合って木々に紛れる。 夕方おろすときには、ロープや鯉が絡まりあってなかなかほぐれず、毎度毎度一苦労だ。 そろそろ我が家の鯉のぼりも卒業の時期がきているのかなぁと思ったりもする。
「いやぁ。きれいやなぁ。交野の桜に鯉のぼり。さっそく写真、撮っといてや」 今年もひいばあちゃんが2階の窓から鯉のぼりを眺めて、ニコニコと目を細めて父さんに言ったそうだ。子どもたちのための鯉のぼりはそろそろおじいちゃんおばあちゃんひいばあちゃんのための鯉のぼりになりつつあるらしい。 年々勢いを増す新緑の木々に、少し色あせ始めた鯉のぼりも輝きを分けて貰って遠慮がちに泳ぎ始めた。こんなふうにじわじわと世代の交代は進んでいくのだ。
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