月の輪通信 日々の想い
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大きな個展を終えて、息子の高校受験もめでたくかたがついて、ほっとしたばかりだというのに、また新たになにやら悩み事を抱えているらしい人がいる。 寝る間も削って次の展示会に向けての制作に取り掛かり、なにやら新しい取り組みを検討しているらしい父さん。来るべき襲名の日を前に、作品の制作のことばかりでなく、窯元としての経営のことや工房の仕事の後継者のことなどいろいろと頭を悩ませることも増えてきているようだ。 「あかんなぁ、経営のことや販売のことも、もっともっと勉強せなあかんなぁ。」 弱りきった顔で頭を抱える父さん。まじめな人だなぁ。
たとえば、百貨店で接客の仕事をすれば、他のプロの店員さんたちの上手な接客を見て「あかんなぁ、もっと接客も上手にならなくては」と思う。 自分の箱書きの文字が気になると、「初歩から書道を学んでおいたほうがいいのかな。」と不安になる。 小学校で子どもたちに陶芸を教えると言うと、他の先生たちのように決められた時間の中で充実したまとまった授業をしなくてはと、焦る。 たまたま講演会の講師を依頼されたら、著名な評論家や学者のように立て板に水の口舌で聴衆をひきつけなければと肩に力が入る。 あれもこれも、自分に期待された役割はみんな完璧にこなさなければと、自分自身に鞭打って追い詰めていこうとする父さんのまじめさが苦しい。 そんなに頑張らなくてもいい。 今だって十分に頑張っているのにと思う。
窯元の仕事は土をこね、釉薬をかけ、焼き上げるだけの仕事ではない。 作品を売ることも、広報や営業のことも、経営のことも、伝統の継承ということも、どれも境目のない渾然とした形で共存している。あれもこれも、勉強しておけばよかった。自分にもっとこういう才能があればいいのにと自分を追い込む気持ちもわかる。 諸事に万能な、スーパーマンのような人がいればいいけれど、実際には家族がいろんな形で役割を分担し、助け合って窯を支える。出来ることなら父さんは、陶芸作家として、ただただ毎日物を作りことだけに専念していければこれ以上の幸せはないのかもしれないけれど、実際には制作以外の多くの仕事に時間を取られたり、頭を悩ませたりしているのが現状だ。
これがよく出来た奥さんなら、家事も育児もこなした上で、工房の手伝いや会社の事務方もそつなくこなして、営業や販売にも積極的に手を出して、父さんの充実した制作活動の時間を確保する助けが出来ただろうに。 わるいね、こんな奥さんで。 「諸事に万能」 父さんが切望するスーパーマンの亡霊の影が、無力な妻の背後にも忍び寄る。そんなの無理だってわかっているのにね。 それでも父さんのため息を減らしたくて、黙って熱いコーヒーを入れる。 これが私に出来ること。
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