月の輪通信 日々の想い
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オニイ、入試の日。 朝から気合を入れて弁当を作り、JRの駅まで車で送る。 ちょうど小学生たちの登校時間と重なっていたので、父さんが送ろうかと言ってくれたのだが、どうやらオニイは私に送って貰いたいらしく、言い出しかねて躊躇している様子。察して、私が車を出すことにする。途中の車中で何か母に話したいことでもあるのかとちょっと緊張する。
実は、オニイ、まだ京都の美術系の私立高校に未練があるのだ。今日の入試の公立に合格したら、私立に進学する望みが消える。 「私立へ本当に行きたいのなら、当日欠席するか、受験番号を書かずに答案を提出するしかないらしいよ」なんて、どこからか拾ってきた要らぬ知恵をつい最近まで口にしたりしていた。 ずっと美術系の高校を目指してきたオニイ、今日受ける公立は普通科で特別美術が勉強できるわけでもない。経済的理由や通学時間、学業の成績などを考慮すれば親としては公立普通科へ進んでくれるのがありがたいとは思っているけれど、オニイ自身の気持ちはどうなんだろう。 もしかして、直前になって「やっぱり今日の試験を棄権したい」とか言い出すのではないかという一抹の不安が最後まで消えなかった。
車中、「鉛筆削った?受験票、持った?上靴は?」とお決まりの持ち物チェック。「判ってる」と仏頂面で口数の少ないオニイ。 緊張しているのか、何か言いたいことがあるのか、ピリピリした思いで助手席のオニイの様子を伺う。 「じゃ、行って来る。かあさん、ありがとう。」 駅前のロータリーで、オニイはそれだけ言うと、車のドアをバタンと閉めて駅に向かって走っていった。 大丈夫。少なくとも試験に欠席するつもりはなさそうだ。 もちろんまだ、わざと手を抜いた回答をするとか、受験番号を書かずに提出するとか、そういう可能性もないことはないけど、多分、公立の普通科に進むことをちゃんと決断したのではないかと思う。 ま、それも今日の試験の結果次第だけれど。
うちへ帰って、父さんや子どもたちの出て行った茶の間にぺたんと座り込み、TVをつけた。 ワイドショーのキャスターの声が意味もなく両耳の間を通過していく。 突然、猛烈な眠気が襲ってきて、そのまま居眠りをしてしまった。 朝、こんな時間の2度寝はずいぶん久しぶり。 おそらくはオニイを送り出すまでの微妙な緊張が解けて、ほっとしてしまったのだろうと思う。 時間にして十分あまり。 目覚めてすっきりした頭でようやく気がついた。オニイが車の中で私にいいたかったのは、車を降りる間際に残して行った「かあさん、ありがとう」の一言だったのではないだろうか。 「送ってくれてありがとう」にかこつけて、オニイが投げてくれたねぎらいの言葉。その言葉の暖かさに遅れて気づく間抜けな母。
気がつけば外は春の雨。 この一雨でまた少し暖かくなっていくのだろう。 我が家の春も、また一歩近くなった。
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