月の輪通信 日々の想い
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2006年03月11日(土) 耳をすませば

昨日の夜、テレビでアニメ「耳をすませば」を放映していた。
アユコがジブリアニメが大好きなのでこれまでにも何度か見たことはあるけれど、用事をしながら断片的に見る。
懐かしいカントリーロードのメロディーに、はるか昔、自分が中学生だった頃のことをあれこれ思いだす。
あの頃私も、本家ジョンデンバーのカントリーロードの歌声が大好きで、習い始めたばかりの英語の発音をおぼつかないカタカナ英語に直して鼻歌代わりによく歌っていた。
あのLPレコードはまだ、実家のどこかに眠っているのだろうか。

図書館への近道の急な階段を全速力で駆け下りていく。
物語の創作に熱中する深夜、机の下から夜食のパンらしきものを取り出してぼそぼそと食べながら原稿用紙をめくる。
退屈な授業の合間に、自作の原稿を熱心に書き綴っていて、教師に不意つかれる。
図書館の貸し出しカードに書かれた顔も知らぬ異性の名前に、あれこれ空想をめぐらせてほのかにときめく。
ああ、こういうことがあったあった、私にも。
そのときにはきっとなんとも思わずに過ごしていた些細なことが、大人になった今、こんなに懐かしくきらきらと輝いて見えるのはなぜなんだろう。
胸がきゅんとなるような、鼻の奥がぐっと熱くなるような切ない気持ちになるのはなぜなんだろう。

少年少女時代の真っ只中を生きているオニイやアユコには、きっとまだこういう大人のノスタルジックな感慨を理解することは出来ないだろう。
大人になってしまった私たちが、今の彼らにとって大事だと思えるもの、キラキラ輝いて見えるものの美しさを本当に共感してやることが出来ないように。
そういう意味ではこのアニメは、今少年少女の時代をリアルタイムで生きている子どもたちのためではなくて、かつて少年少女だった大人たちのための童話なのかもしれない。

物語の執筆に熱中するあまり成績が下がって母や姉から叱責を受ける主人公。
「勉強より大事なものっていったい何よ」と問い詰められてうなだれる主人公に父親は「ま、なんだか一生懸命やっているみたいだし、気の済むまでやってごらん」という。
娘が何にそれほど熱中しているのか根掘り葉掘り聞かない。
娘が受験より大事と思っているものの大事さが、大人になってしまった自分の価値観では同じ目線で共感してやることが出来ないことを父親はきっと知っていたのだろう。
子どもを信頼すると言うことは、子どもの行動を一から十まで把握して同じ目線で共感してやるばかりではない。大人には絶対踏み込むことの出来ない子どもたち自身の心の王国の平安を、離れた場所から静かに見守る勇気もまた親としての度量と言うものなのだろう。

「お母さんもアユコくらいのとき、このアニメの子みたいに長い長い物語を書いていたよ」
とアユコに初めて教えた。
「うそ?!どんな話?もう書いたもの残ってないの?」
とアユコが飛びつく。
あの頃書いていた物語のノートは、結婚の荷造りの合間に全部燃やしてしまった。
あの時から私はこちら側の人間になったのだろう。


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