月の輪通信 日々の想い
目次|過去|未来
所用で大学のあった街へ出かけた。 久しぶりの都会の街。 のどかな田舎暮らしのおばさんには、駅の雑踏も繁華街の賑わいも久しぶり。ごちゃごちゃといろんなにおいの混じったよどんだ空気もどこにも土の見えない汚れた硬い地面も懐かしい。 学生時代にはこの街はまさにきらきらと輝いていて、私はその中を我が縄張りとばかりに得意げに飛び回っていたのだったなぁ。 昼間の環状線は比較的空いていて空席はたくさんあると言うのに、遠足に行くはしゃいだ子どものように電車のドアに寄りかかって立ち、車窓を流れていく雑然とした都会の町並みを眺めてすごした。
あの頃、若い私が「これがなければ生きていけない」と思っていたもの。 新刊の文庫本が発売日に店頭に並ぶ大きな本屋。 一杯のコーヒーで何時間でも気兼ねなくおしゃべりの出来る喫茶店。 知的に刺激しあえる気の合う友人たち 誰にも邪魔されずに瞑想したり物書きしたりするだけの孤立した時間と場所。 贅沢過ぎない程度に自分の欲しい服、自分の好きな本を買える程度の収入。 一生続ける価値のあるやりがいのある職業。 お互いの意志を尊重しあえる好ましい伴侶。 それからそれから・・・
田舎の専業主婦のおばさんである今の私。 あのころ、私が欲しいと思っていたもの、なくてはならないとかたく思い込んでいたものの多くは、今の私の手の中にはない。 なくても平気で生きている。 平気どころか、結構今の自分に満足して生きている。 あの頃の私なら、電車のドアによっかかって、久しぶりの街の風景をキョロキョロとおのぼりさんのように眺めているおばさんをどんな風にみていただろう。 日々の生活だけに埋没した、可哀想なくたびれたおばさん。 そうね、外見はね。 でもそれだけじゃないんだな。 喉から手が出そうなくらいに欲しいもの、これがなくちゃ生きていけないと思うものは減ったけど、決して手放したくないもの、いつまでも大事に手の中に暖めておきたいと思うものはたくさんある。 懐かしい街があのころのようにキラキラと輝いて見えないのは、若さや自由や未来を失ったからではない。 多分、今の私は自由な学生だった頃の私より、ずっとたくさんのものを持っているのだろう。 そんな気がする。
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