月の輪通信 日々の想い
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朝からねじり鉢巻で部屋を片付け、雛人形を出す。 我が家では例年、3月3日から4月3日まで雛人形を飾る。いつもなら父さんが工房から緋毛氈を持って帰ってきて、お飾りスペースを作るのを手伝ってくれるのだけれど、今年はそれも私一人で。
昼過ぎ、公立前期の発表を見に行っていたオニイからの電話。 落ちた。 事前の進路指導では「まず大丈夫」と言われていた学校だけに、親子で絶句。 はぁ、こういうことってあるんだなぁ。 朝のうち、あんなにいいお天気だったのに、午後から急に降り始めたみぞれ交じりの雨。オニイは今日、傘を持って出かけなかった。 冷たい雨の降る駅への道のりを、どんな気持ちで帰ってくるのだろう。 すぐにも傘を持って抱きしめにいってやりたい気持ちと、「うそでしょ、なんで?」と言う気持ちでしばし呆然。 父さんにメールで伝え、それでも誰かに訴えずにはおられない気持ちのままに実家に電話をかける。
珍しく電話に出たのは母ではなく父だった。 父は私の声を聞くといつものように「ん、お母さんに代わろうか」と言う。 以前に父が「お前はほんとに参ってるときはすぐに『お母さんに代わって』と言う。父親はお呼びでないらしい」と冗談を言っていたのをふっと思い出して、「オニイがね、不合格だったらしいの」と父に告げる。 「そうか。で、どうする。」 「私立はとおってるけど、もう一つ公立を受けると思う」 「ま、いろいろあるわ。頑張れ」 父との電話は、あっけなく短かった。
そうだった。 私が大学受験に失敗したとき、採用試験に落ちたとき、そして弟たちが大学受験でおもうような結果が出せなかったとき、父はいつも「うん」と頷いて決して結果を責めなかった。 「で、どうする。」 責めない代わりに、父は凹んだり泣いたり恨み言を言ったりする暇をあたえず、次に起こすべき行動を問うた。そんな父の強引な導きについて行けない思いで反発したこともあったけれど、今思うとその強さがなければ私は次に踏み出すきっかけを見失っていたのではないかと思う。 失敗にうなだれているわが子を引きずり起こし、「立ち止まるな、次の道を探せ」と促す父の心のうちはどんなだったのだろう。 親になって初めて思いはかる父の心境。 そうだった。そうだった。
学校への報告を終えて、雨の中自転車で帰ってきたオニイ。 しゅんと凹んで無愛想で、痩せた肩がいつもより小さく見える。 あれこれ聞いてもむっとして答えない。 ほっといてよ。ちょっと黙っててよ。 そんな言葉ばかりが返ってくる。 さあ、今度はこの子をどうやって引っ張り挙げようか。 親としての力がまた試されている気がする。
学校で、担任の先生や進路指導の先生との懇談の結果、公立後期で受験可能な学校を3つ提示された。ここ数日の間に3つの学校を実際に見に行ってきて、いろいろな条件を考慮して受験する学校を最終決定するという。 懇談の帰り、「とりあえず、今から一番近いT高校を一人で見ておいで。」と電車賃を持たせてオニイを最寄り駅へ置いてきた。 頑張れ、頑張れ。 へたり込むのはもうちょっと先にしよう。
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