月の輪通信 日々の想い
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アプコのお食事はいつもマイペース。 朝のあわただしい時間、「あと5分で出かけるよ。」という時間になっても、慌てない、騒がない。悠然と箸を運ぶ。 自分の好きなおかずは一番に箸をつける。 目分量で「エビフライは一人3個ずつ」という暗黙の了解は、通用しない。 自分のお皿にたくさん取り分けた食べ物があるのに、大皿の別のおかずに手を伸ばす。 大皿にたった一個残った「遠慮のかたまり」は当然自分に与えられる物と信じている。 そのくせ、自分のお皿に取りすぎたおかずが食べきれなくて、「おなかいっぱい」とお残しをする。 近頃、こうしたアプコの傍若無人の食事態度が、他の兄弟たちの癇に障る。
「遊び食べはしない」 「おいしいものはみんなで分ける。」 「お皿に取り分けられたものは残さず食べる。」 「欲張らない、がっつかない」 上の3人の子どもたちが幼い頃には、それなりに厳しくしつけた食事のマナー。 少し年齢をあけて生まれてきた末っ子姫のアプコには、どうしても「まだ小さいから・・・」「まだ難しいから・・・」と特別扱いされることが多くて他の兄弟たちには面白くないのだろう。 一方、生まれた時から好きなもの、欲しいものを比較的最優先に与えられたアプコにとっては、オニイからの小言もアユ姉からの教育的指導もゲンからのブーイングも「何、言ってんの、この人たち・・・。」と無表情に聞き流す。 これもまた、オニイオネエの癪の種だ。
「私のときはもっと厳しく叱られたのに・・・」 「僕が小さい頃には、食べ残したお皿と一緒にベランダに出されたのに・・・。」 オニイオネエは訴える。 「そんなこともあったけねぇ」 母はとぼけてお茶を濁す。 確かに上の3人が幼い時には、私もずいぶん躍起になって子どもたちの生活をあれこれ縛ったものだ。時にはヒステリックなほど些細なことにこだわったり、子どもとの意地比べのように厳しく叱っていたこともある。 けれどもそんな怒涛の子育て期が一段落して、幼いアプコが生まれたときにはそれほどのエネルギーは失せてしまった気がする。
「あせって無理に食べさせなくても、そのうちあっさり食べられる時期が来る。」 「こまごまうるさく叱らなくても、少し大きくなれば自分で周りを見て自然と気がつく時がくる。」 そんなことを悟らせて貰ったのは、まさにオニイオネエたちの子育ての結果。上の子たちには申し訳ないけれど、「今はまだ、黙ってみていても大丈夫かな」と腕組みしてアプコの成長を眺めていられる余裕は、試行錯誤の子育てのすえに得られた知恵だ。
好きなものを好きな分だけ、満たされた表情を浮かべて自分のペースで食べるアプコはかわいい。 嫌いなものは嫌い。欲しいものは欲しい。 そのマイペースな振る舞いは気まぐれな猫の愛らしさ。 どこかでこのまま大人にならずに手元にそっと置いておきたい気持ちも残る。 「お母さんが叱らなくても、アプコをうるさく叱ってくれる人はいっぱいいるでしょ。」 へらへらと笑ってごまかす母をオニイやアユコはどんな想いで見ているのだろう。 「末っ子だからって、甘やかして・・・」 と、面白くない思いを募らせているのだろうか。
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