月の輪通信 日々の想い
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2006年02月05日(日) 救急車

朝から工房で白絵塗りの仕事。途中で、新しい釉薬の調合の手伝いをしたり、釉薬鉢や筆、刷毛などの洗い物。
最近、工房で私に任される仕事は主婦の台所仕事にちょっと似てる。混ぜたり洗ったり漉したり捏ねたり。
その昔、うちの窯元では代々釉薬の仕事はその家の主婦の仕事だったという。作家である夫のそばにいて、家事の合間に仕事場のちょっとした片づけ物をしたり、作業に手を貸したり・・・。そういうきっかけで夫の手助けをするには、釉薬の仕事は一番に手を染めやすい作業のひとつだったのかもしれないなぁと思ったりする。

午後になって手が空いたので、父さんのとなりの作業台の大掃除。
少し前までは義父が使っていた作業台だが、義父が2階の小部屋に仕事場を移してから、すっかり物置状態のまま手付かずになっている。大きなゴミ袋と古雑巾を持ち出して、長年の間に溜まりにたまった要らないものを処分してすっきりと片付けた。これでいつもどこかの作業場に間借りして行っていた私専用の作業スペースが確保できた。そのうち、子どもたちの誰かが工房での仕事を始めたときにも利用できるだろう。まずは懸案の大仕事を終えて充実感。

さて、夕飯の支度を・・・とうちに帰って台所に立ったとたんに工房からの電話。義母が慌てた声で、ひいばあちゃんが2階で転倒したという。
慌てて工房に取って返すと、ひいばあちゃんは自分でポータブルトイレの中身を処分しようとしていて洗面所で躓いて転んだのだという。父さんと義父母がひいばあちゃんを部屋へ運んで、右往左往。ひいばあちゃんは「胸が痛い」と訴えられるので、救急車を呼ぶ。

救急車を待つ間に、悪臭ぷんぷんの洗面所の掃除。
古新聞を大量投入して散乱した排泄物をぬぐい、消臭剤を撒く。狭い洗面所に所狭しとおいてあったダンボール包みも全部外へ出して汚れた外箱を処分する。
我が家には高齢者が3人もいるので、遅かれ早かれ私にも介護の負担がかかってくるものと覚悟はしているものの、こうして実際に排泄物の後始末という難行に直面してみるとこれから大変になるだろうなぁとため息が出る。
こういう汚れ物の仕事は養護学校勤務時代には日常茶飯事だったので、それほど抵抗はないほうだけれど、これが毎日のこととなるときっと別の覚悟もいるのだろうなぁと思う。
義父母たちは、まだまだひいばあちゃんの介護は自分たちの手でと思っているようだけれど、実際のところは介護の主体は義兄や父さんや私たちが負っていかなければならなくなるだろう。
それも、そう遠くない将来にやってくることなのだということを切実に感じる。

救急車には父さんが同乗して、私がその後ろから車で病院に直行。近所の救急病院へ搬送。
ひいばあちゃんは耳が遠くて、医師や看護士さんとの会話がなかなか進まないので、ひいばあちゃんの自覚症状すら正確には伝わりにくい。おまけに最近では時間の感覚がやや混濁しているので、「腰が痛い」といわれてもそれが転倒によるものなのか以前からの慢性的な腰痛なのかもはっきりしない。
とりあえず、レントゲンなどの検査で異常がないので、内臓の損傷や骨折などの心配はないだろうということで、うちへ帰って一晩様子を見ることにする。
やれやれと一安心。
慌ててでてきたので、ひいばあちゃんの靴や上着を持ってくるのを忘れた。
車椅子を借り、父さんと私の上着を貸してひいばあちゃんを車に乗せたけれど、次回からは忘れないようにしよう。
前回の義父、数年前の母と、何回か救急車のお世話になり、だんだん救急車慣れしてくるなぁと父さんと苦笑する。

ひいばあちゃんをつれて工房へ帰ると、汚れた洗面所は手付かずのまま。
車中から電話で伝えておいたひいばあちゃんの靴も用意されていなくて、救急車をおくりだしたあと義父母がしばし放心していたのだろうことが知れる。
今回の救急車事件では、転倒したひいばあちゃんよりも緊急事態に慌てふためく義父母の老いを改めて思う結果になった。
ただ、唯一の救いは留守番役の子どもたちの成長振り。
電話での簡単な指示だけで、なんとかご飯を炊き夕食の支度をして、洗濯物の片付けや風呂掃除を済ませておいてくれた。
これから、工房の仕事や年寄りの介護にもっと私の手がとられるようになっても、子どもたちだけでそこそこ家事を割り振ってこなしてくれるようになっていくのではないかと思う。
なにより、なにより。
これからはこの子らが助けの杖だ。


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