月の輪通信 日々の想い
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2006年01月29日(日) 春を養う

アユコが学校の華道部でお花を習い始めて10ヶ月。
月に2,3度、お稽古に使った花材を持ち帰り、工房の展示室にいけなおすことが習慣になった。帰宅後、まだ制服姿のまま花をいけに行くと、そのたびにおじいちゃんおばあちゃんたちがたいそう喜んでくださって、アユコもまたご機嫌よく帰ってくる。
花屋さんの見繕いでいただいてくるらしいお稽古用のお花には、普段花屋の店先で見なれた洋花ばかりでなく、葉物や枝物など名前も知らない植物があれこれ組み合わされている。華道のたしなみのない母にとっても、珍しい植物と出会うことが出来るという楽しいおまけつき。

秋から冬にかけて、庭先でも彩りのある花材が少なくなる季節になって、アユコが頂いてくる花束はチューリップやスイトピーなど温室育ちの洋花に観葉植物の緑、そして硬い新芽をつけた枝物の組合せが多くなった。
冬中、灯油ヒーターを焚く工房の展示室はいつも暖かくて、硬いつぼみでやってきたチューリップやユリも数日のうちにおおらかに花開き、しなだれるような妖艶さで春を謳う。そこだけ一足早く春が来たような、ほのぼのと嬉しい気分が漂っている。
ただし、部屋が暖かくて確実につぼみの花まで開花する分、花の傷みも早い。はらはらと散り落ちんばかりに開ききったチューリップや酔うような香りを放つユリの花弁など、盛りを過ぎた花たちをアユコはくるりと新聞紙に包んで持ち帰ってくる。

「おかあさん、これも捨てる?」
アユコが決まって差し出すのは、引き取ってきた花材に混じった大振りの枝物。つややかな枝には小さな葉芽だか花芽だかがびっしりと付いている。葉っぱも花もまだ一つもみえないので、何の枝なのかもよくわからない。かろうじて、名前がわかるのは猫柳くらいならだろうか。
咲き終わると直ちに見苦しく崩れてしまう花とは違って、硬い葉芽の枝物は一週間暖かい部屋に飾っておいてもほとんど元のしなやかな容姿を保ったままで、汚れた花弁と一緒に丸めて捨ててしまうのには忍びない。
「かわいそうだから一枝だけ。」と捨て猫でも拾う気分で取り上げてガラス瓶に挿し、台所の片隅に飾っておくのが習慣になった。

秋口から、そうして救い上げた小枝がもう十本あまり。
今朝見ると硬くつぐんでいたはずの葉芽に緑の若葉の気配がみえる。黄緑の若葉の先端がのぞき始めているらしい。水からあげてみると、切り口のほうにも見慣れぬ白い突起物がぷつぷつと並んでいて、今にも発根しそうな勢いだ。
まるっきり枯れた裸木にしか見えなかった小枝の中に、こんなささやかな生命のかけらが隠されていたことの不思議。いとおしいような想いで枝の一本一本を取り上げてみる。裸木の時にはどれも同じに見えた小枝の肌もそれぞれの若葉の色で違った種類の違った植物であることがわずかながらも知れるようになる。

今日は台所の出窓に注ぐ日差しが明るい。
ガラス瓶に挿した小枝の束は、それぞれに内に秘めた春の若葉をはぐくんでいる。
花の色も緑もない一瓶で春を養う楽しみを知る。


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