月の輪通信 日々の想い
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2006年01月23日(月) はかなさとかけがえのなさ

地元の小学校での5年生陶芸教室。今日、素焼き。
年末に学校で作った作品をすぐ近くのレクリエーション施設の陶芸窯に運んで電気窯で焼く。朝、9時からクラスごとに窯詰めして10時に点火。有志のお母さんたちに窯番を手伝ってもらいながら800度まで温度を上げ、3時ごろ火を落とした。今朝は雪交じりの極寒で、窯詰めも窯番も半端な寒さではなかった。お手伝いの皆様には本当にお気の毒。ご協力に感謝。
ちなみに、本日ゲンは風邪が治りきらず、無念の欠席。一人でお留守番。これまたお気の毒。



・・・24日付け、5年1組班ノートへの書き込み 転載・・・

昨日は素焼き、お疲れ様でした。窯は予定よりかなり早く3時ごろに800度に達して、火を落としました。そのまま自然に温度が下がるのを待って、明日「窯出し」をします。灰色だったお茶わんが、素焼きを終えるとどんな色になっているでしょう?楽しみですね。

昨日、図工室からスポレク(窯のあるレクリエーション施設)へ作品を運ぶとき、残念なことに途中で割れてしまったお友達がいます。(2組さんに1人、1組さんに1人)
「壊れやすいから気をつけて運んでね」と再三注意していたにもかかわらず誤って落としてしまったようですね。残念ながら陶器は割れ物ですから壊れてしまったものは作品には出来ません。1組さんの分は大きく3つに割れていましたのでとりあえず素焼きの窯には入れましたが、2組さんの分は粉々にこわれていてどうにもなりませんでした。自分の作品をみんなと一緒に焼くことが出来なかった人は本当に悲しい気持ちになっただろうと思います。

作品を途中で壊してしまった人も必ずしも扱いが乱暴だったとか、ふざけていて不注意に落としたというわけではないだろうと思います。大事に大事に気をつけてそろそろ運んでいても、何かの拍子に手がすべったり、誤って取り落としたりという事故は必ず起こります。
気の毒ですが、壊れたものを元に戻してあげたり、同じものをもう一度作って渡してあげることは出来ません。
誰かが作った作品は、世界でたった一つの、作り直し(リセット)のきかない、一回限りの作品なのですね。
割れてしまったら、もう元に戻せないという「はかなさ」は陶器の宿命ですが、やり直しが効かないからこそ作品に対する愛着とか思い入れが生まれるのかもしれません。
このことを「かけがえのなさ」といいますね。
作品が割れてしまったことは残念ですが、大事に扱っている物でも何かの拍子にこわれてしまうと言う「はかなさ」、だからこそ自分の手の中にある物を大切に思うという「かけがえのなさ」、その二つのことをみんなも感じてくれたのではないでしょうか。

割れたお茶わんは、くっつけて元に戻すことは出来ませんが、幸いなことに新しい粘土を使えばもう一度、最初から作り直すことは出来ます。今回こわしてしまった人たちにももう一度一から作り直してもらおうかと考えています。前とおんなじお茶わんにはならないかも知れませんが、失敗の経験を経て前よりぐっと素敵な作品が出来上がるかもしれません。
こわれたものはもう元には戻らないけれど、失敗してももう一度最初からやり直すことは出来ます。何度失敗しても頑張ればちゃんと「やり直し」や「再挑戦」が出来るということも、今回の陶芸の授業の教訓としてみんなの心に残ってくれるといいなぁと思っています。




小学校から陶芸窯までの数百メートル。
割れやすい生の作品を運搬する事の不安は最初からあった。
子どもたちに一点ずつ手持ちで運ばせても、途中で取り落としたり欠けさせたりする危険がある。かといって、車でいっぺんに運んでも途中の揺れで作品を傷つける可能性もある。
いろいろ検討した結果、子どもたちに自分自身の作品をそれぞれ責任を持って運んでもらうことに決定した。
結果、80個あまりのお茶わんのうちの2個の割れ。
5年生の子どもたちにとって、「数百メートルの距離を注意して作品を運ぶ」という課題は難しすぎたのだろうか。それとも、2個程度の割れは許容範囲内と思っていいのだろうか。悩むところだ。

今回素焼きした作品は、水曜日に窯出しして釉薬をかけ、木曜に本焼きして来週月曜日に窯出しの予定。


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