月の輪通信 日々の想い
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2006年01月11日(水) 言葉の寒さ

小学校に所用があって、子どもたちの下校時間を見計らって出かけた。
今日は新学期2日目。地区集会のあと、それぞれの登校班ごとにまとまって、ならんで帰る。早めに用事を済ませて、集団下校の子どもたちと一緒に帰ってきた。

ゲンは一応、登校班の班長さん。同じく5年の副班長とともに4人の下級生の登校を見守る。今年は小さい一年生が3人もいて、そのやんちゃに付き合ったり足の遅い女の子たちをなだめすかしたりなかなか大変そうだ。
おまけに行程のほとんどは家から集合場所までアプコと二人きりの道中。
朝寝坊で叱られて半泣きのアプコを連れていつもの坂道を下っていると、下から上がってくるウォーキングのおばさんたちに「妹を泣かせた悪い兄」のように見られるので困ると毎朝こぼしている。
こんな小さな登校班でも、班員の上に立って小さな子たちの安全に責任を持つということは大変なことだ。ことに登下校時の安全が叫ばれる昨今、ゲンもゲンなりに妹たちの安全には気にかけてくれているようだ。
ゲンもやっぱり「おにいちゃん」なのだなぁ。

子どもたちの群れに混じってわっと校門を出ると、まるで羊の群れを導く羊飼いの気分。はしゃいだ子どもたちの声がわいわいと響いて、本当に賑やかだ。遠足の列に紛れ込んだような愉快さを味わいながら一緒に歩く。
後ろのほうで女の子が
「先生!班長が速すぎ!」
と、先に行ってしまった男の子を指差して引率の男の先生に訴えた。友達と追いかけっこをして登校班の列を離れてしまった男の子が、ずっと先のほうで手を振っている。
「おーい!○○!戻って来い」
と先生が子どもたちの間を分け入って、班長の男の子を追いかけた。ふざけて逃げようとする男の子のぼうしをわっしと押さえ込んでつかまえる。男の子はますます楽しくなって、先生の手から抜け出そうと体をよじらせる。
それはどこから見ても先生と男の子の楽しいふざけあいっこで、ほほえましい思いで眺めていたのだけれど・・・・。
「うわぁ、先生、児童虐待だ!助けてぇ!虐待やぁ!」
男の子が笑いながら悲鳴を上げた。
「何が虐待じゃぁ!」
と先生はすかさずかわして楽しげにプロレスごっこを続けた。

それは確かにやんちゃな男の子と先生の楽しいスキンシップの瞬間である事には間違いない。男の子は先生に促されて登校班の列に戻り、先生は前のほうの別の子どもと話しながら歩いていかれる。一斉下校の楽しい賑わいの中で、どこにでもある風景だ。
それなのにほんの一瞬、ひやりと冷たい気分が流れた。
「虐待」という冷たい言葉。それが楽しいふざけっこの最中に、冗談の一つとして子どもの口からポロリと吐かれることの冷たさ。
学校の外でのことでもあるし、周囲の人の外聞も悪い。先生もあんななんでもない場面で「虐待」なんて言葉を投げられるのはたまらんだろうなぁ。男の子の方でも、そういう先生の戸惑う気持ちをちゃんと知った上で大きな声でことさらに「虐待」という言葉を繰り返したのだろう。
一斉下校の楽しい賑わいの中で「虐待」という言葉の寒さが胸を指すのは何故なんだろう。子どもたちの生活の中に「虐待」とか「不審者」とか「緊急避難」とか、殺伐とした言葉が当たり前に転がっている今日の寒さ。
ただの遊び、ただの冗談といえばそれまでだけれど、子どもたちが遊びの中の言葉としてそんな冷たい言葉をもてあそばれていることの矛盾を思う。

「お帰り。気ィつけて帰りや」
分かれ道に差し掛かり、子どもたちを迎える交通指導員のおばさんの声。
毎日、子どもたちの下校を見守ってくださるおばさんたちの暖かい言葉。
ほっとする思いで頭をさげる。
暖かい言葉を捜そうと思う。
子どもたちの周りには、こういう暖かい言葉が満たされているほうがいい。


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